世界はいつだって激動期

2021-01-30 (土)(令和3年辛丑)<旧暦 12 月 18 日> (大安 戊寅 六白金星) Gunilla Gunhild  第 4 週 第 26286 日

 

世の中が変はるといふのは、つまり個人にとって、良い方向に変はるのか悪い方向に変はるのかが気になるところではある。コロナを機に、良い方向へ変はる人もあるかしれないが、多くの人にとっては悪い方向へ変はるのではないかと思ふ。コロナのせいだけではないかもしれないが、昨年の日本の自殺者数は11年ぶりに前年水準を上回ったといふニュースも見た。僕らの住む宇宙は、専門家の話では、どこまでも膨張を続ける単調増加であるらしいけれども、地上の人間の経済活動は良くなったり悪くなったりを繰り返す。それも世の中が一様に良くなったり悪くなったりするのなら、悪くなる時も「みんながさうなら仕方ないさ」と諦めることができるのだが、一部の人たちはすごく良くなる間に、自分達だけが悪くなるのはなかなか我慢しにくいものだ。僕はもう高齢者であって、あれこれと欲望が湧き出てくることはないから良い様なものだが、若い人にとっては欲望と現実とのギャップにどの様に折り合ひをつけるかは大きな問題であると思ふ。若い人たちに無欲になれとは言へないものだ。しかしである。どんな状況で断面を切り取っても、人間は欲望とどの様に折り合ひをつけるかといふ問題は永遠に付いて回るものではないだろうか。状況が変はっても柔軟に対応できる自由を持たねばなるまいと思ふ。現状について文句だけ言っても何も前進しない。公平な世の中の実現のために、自分は何をすれば良いのかと考えることは良いことであると思ふが、単純に悪いやつらをやっつけろといふ考へに走ってはいけないと思ふ。どんな時代にも、忍耐は必要であると思ふ。忍耐するのはバカバカしいのだろうか?何のために忍耐するのだろうか?その答へはすぐにはわからない。本当の忍耐を経験した人だけが知ってゐることなのかもしれない。

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雪原にスキーで遊ぶ子ら。密ではありません。