忍耐の報酬

2019-06-20 (木)(令和元年己亥)<旧暦 5 月 18 日>(仏滅 戊子 三碧木星)Linda 第 25週 第 25697 日

 

この頃、カッとなってキレる人が多い様に思ふ。あふり運転もさうだし、いきなり警官を襲って斬りかかる人間も心に怒りをためてゐるからではないかと思ふ。何だかみんな急いでゐる。周囲の人が心の何処かに怒りをフツフツと滾らせながら世の中で生活してゐると思ふと恐い。年齢とどの様に関連するのかは分からないが、若者ばかりでなく老人もまたキレることがある。かくいふ僕自身もキレやすいところを色々な方法でこらえてゐる。人生は忍耐、忍耐、また忍耐。はたから見れば穏やかにしか見えない人でも、いや、そんな人ほど、人知れぬ忍耐を腹の中に隠し持ってゐることはありうる。相手が親しくない他人であれば怒りが爆発しやすい。直接対面しない相手であれば暴言を書き込んで無責任にネット上に発信しやすい。それを読む人は深く傷ついて怒りや哀しみは社会に蔓延する。これはネット社会の負の面である。カッとなったら6秒待てといふ人もある。その間に相手への敬意をチラッと思ひおこすことも大事と思ふ。僕はこの時「一切衆生悉有仏性」と唱へる様に心がける。でもこの様な忍耐に耐えられなくて他人とかかはるのはいやだといふ人も出てくる。そして彼らは部屋に引きこもる様になる。ひとりで生きるのは寂しいといふ人もあるが、誤解を恐れずにいへば、ひとりで生きることほど気楽なことはない。ひとりで生きるのはきっと居心地が良いのだ。多くの人たちが引きこもるのはその居心地の良さのゆえではないか。でもずっと引きこもってゐてはそのツケはやがて自分に返って来る。人は何のために忍耐するのか、その先にどんな報酬があるのか、忍耐した人にしか分からない。徳川家康は400年前「怒りは敵と思へ」と言った。必ずしも現代特有の課題ではないとも思ふ。

 

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墓地側から見た Alla Helgona kyrka