新しい資本主義

2022-05-31 (火)(令和4年壬寅)<旧暦 5 月 2 日>(赤口 甲申 六白金星) Petronella Pernilla  第 22 週 第 26781 日

 

「新しい資本主義」といふ言葉をこの頃耳にする。岸田内閣の大きな方針のひとつで、持続可能な社会を目指した資本主義といふことのようである。また一方で「資本主義の終焉」といふ言葉を聞くこともある。資本主義をやめなければ人類は滅亡してしまふといふ人もゐる。このようなことについて考へようとすると、結局「資本主義とは何か」といふ問ひかけになる。僕は「〇〇主義」についてはよくわからないが、結局、自然に湧き上がってくる欲望を人はどのように抑へるべきかといふ点に帰着していくのではないかと思ふ。共産主義だって特権階級が欲望に目が眩んでダメになるのだ。99パーセントの人が地球環境を守るために抑制しても、ずるい1パーセントの人が気ままにやったら社会は持続しないかもしれない。僕はあまり全体を見渡すのでなくて、「いま、ここ」といふ自分の周りで何ができるかといふことしか考へないようにしてゐる。資本主義のひとつの特徴は「分業」と聞く。新しい資本主義とは、つまりこれからはなるべく「分業」をやめようとすることではないかと思ふ。「いま、ここ」的な発想をすれば、「自分でできることは自分でやる」といふ事になる。身近な例は家事だ。外に出て働くのをやめて家にこもって家事をすれば良いのだ。自分でできることを自分でやってしまへばお金が動かないので数字上は生産性が上がらないことになるが、実質的な生活の豊かさは変はらないのではないかと思ふ。子供の教育だって塾へやるのではなくて、親が我が子を自分のレベルで教へれば良いのだ。ウクライナ情勢の影響で肥料などが輸入できなくて価格も高騰し、農家が困ってゐるといふニュースを見たが、肥料を外から買って来るのではなくて、自分たちで作り出すような工夫もこれからは必要なのではないか。能率が下がって経営が成り立たなくなるのかもしれないし、農業について何も知らないものが勝手に言ふのもをかしいが、そのようなことをクリアできなければ持続可能な社会など実現できないのではないかとも思ふ。

窓の外のシャクナゲが膨らみ始めた