平家物語 巻第五 「月見 3」

2023-09-07 (木)(令和5年癸卯)<旧暦 7 月 23 日>(大安 戊辰 八白土星)下弦 Kevin Roy    第 36 週 第 27239 日

 

平家物語の時代には、御所は今の京都御所よりもずっと西の方にあった。そのことは考慮しないといけないのだが、地名そのものは昔とあまり変はらないのではないかと思ふ。近衛河原の大宮の御所とはどの辺だらう。京都の地図を広げてみた。近衛通りは吉田山の西にある。西に向かふと鴨川に突き当たり、荒神橋を渡ることになる。その渡った先あたりに近衛河原の大宮の御所があったのかなと想像してみた。)この御所に、待宵の小侍従といふ女房が仕へてゐた。どうしてこの女房は待宵と呼ばれる様になったのかと云へば、ある時御所で、「恋人の来るのを待つ夕べと、その人が帰って行く朝とでは、どちらが情趣が深いでせう」とおたづねがあった時、

待ちよひのふけゆく鐘の声聞けばかへるあしたの鳥はものかは

(鐘が鳴る。恋人を待つ夜のふける鐘が鳴る。寂しい。それに比べれば、もう帰る時間だよと告げる鳥の声などものの数ではありません)と詠んで返事をした。それ以来、待宵といふ名で呼ばれることになったのである。大将はその女房を呼び出されて、昔ばなしなどをされた。そのうちに次第に夜もふけていった。大将はそこで今様を歌はれた。

ふるき都をきてみれば

浅茅が原とぞあれにける

月の光はくまなくて

秋風のみぞ身にはしむ

と、三べん繰り返された。大宮はもちろんのこと、御所中の女房たちは皆袖を濡らされるのだった。

町の広場にある Vattenklocka 名前からは水時計を連想するのだが、果たしてどんな風に時を告げるのやら僕には分からない