平家物語 巻第五 「月見 1」

2023-09-05 (火)(令和5年癸卯)<旧暦 7 月 21 日>(先負 丙寅 一白水星) Adela Heidi    第 36 週 第 27237 日

 

治承4年(1180年)6月9日に新都のことはじめとなったが、8月10日には内裏の上棟、11月13日には新皇居にお遷りいただくといふ工程表ができあがった。ふるき都はあれゆけば、いまの都は繁盛す。驚くことばかりであった夏も過ぎ、もうあたりは秋である。次第に秋も深まってくると、福原の新都に居る人々は、名所の月を見たいと言って、源氏物語の主人公光源氏の須磨・明石での暮らしをしのんで、須磨より明石の浦づたひ、淡路の瀬戸をおし渡り、絵島が磯の月を見る人もあった。また他の人は紀伊国の白良・吹上・和歌浦へ行って月を見た。摂津国の住吉・難波に出かける人もあった。播磨国高砂・尾上の月のあけぼのをながめて帰る人もあった。また、旧都に残った人々は山城国の伏見・広沢の名所に行って月を見た。

そんな中で、徳大寺の左大将實定の卿は、是非ともふるき都の月を見たいと言って、8月10日あまりに福原を出発して京に上った。京の都に着いてみれば、町の様子はすっかり変はり果ててゐた。まれに残る家があれば、門前の草は深く、庭上には露がいっぱいであった。蓬が杣、浅茅が原は鳥のねぐらとなって荒れ果て、虫の声が聞こえるばかりで、黄菊紫蘭の野辺と成り果ててゐた。故郷の名残といへば、近衛河原の大宮がゐらっしゃるばかりである。(この大宮は、實定の妹の藤原多子である。およそ20年前、近衛天皇の皇后、次いで二条天皇の妃となられ、「二代の妃」と呼ばれた方である。いまはすでに40歳になられる。荒れゆく都の近衛河原に残って、ひっそりとお住まひであったことがわかる。なお、實定は百人一首では後徳大寺左大臣の名で、「ほととぎす鳴きつる方をながむれば、、」の歌で知られるが、この歌はもっと後になって詠まれたものであるらしい。)

ジャケットを着て散歩すると暑い