平家物語 巻第五 「都遷 9」

2023-08-22 (火)(令和5年癸卯)<旧暦 7 月 7 日>(先勝 壬子 六白金星) Henrietta Henrika    第 34 週 第 27223 日

 

治承4年(1180年)6月9日になると、新都のことはじめをせねばなるまいと言って、上卿(遷都を司る最高位)には徳大寺左大将實定の卿、土御門の宰相中将通親の卿、奉行の弁(遷都の事務を行ふ弁官)には蔵人左少弁行隆が官人どもを連れて、和田の松原(神戸市兵庫区南部)の西の野(神戸市長田区東南部)を開墾して、九条の地を割ったのだが、北から道をつけ始めたとしても五条まで来たところで海に入ってしまふことになる。行事官が帰ってこのことを報告した。それなら播磨の印南野(兵庫県加古川市)はどうだとか、もしくは摂津国の昆陽野(兵庫県川辺郡)ならどうだとか、公卿たちがさまざまに議論するのだが、実りのある議論にはならなかった。

旧都はもうさまよひ出てしまった。新都はいまだことゆかず。ありとしある人は、まるで浮雲のように落ち着かない心細い思ひをした。以前から福原に住んでゐたものたちは土地を取り上げられてしまって嘆き、新しく入って来た人たちは土木建築のことが問題で嘆くのだった。全てはただ夢の様な状況であった。土御門の宰相中将通親の卿は、「異国には、三条の広路を開いて十二の洞門を建てた例もあると聞くぞ。いはんや五条まである都に、どうして内裏を建てられない事があらうか。急いで里内裏を建設すべきだ。」と言ふ。それで入道相国清盛は、五条大納言邦綱卿に臨時に周防国をお与へになって、内裏の建設をお任せになった。

日差しはまだ夏だが、秋の気配がある。