平家物語「行隆之沙汰 3」

2022-05-26 (木)(令和4年壬寅)<旧暦 4 月 26 日>(大安 己卯 一白水星) Kristi himmel färds dag Vilhelmina Vilma  第 21 週 第 26776 日

 

その頃、前左少弁行隆といふ人がゐた。故中山中納言顯時卿の長男である。二條院の御世には、弁官に加はってたいそう羽振りが良かったのだが、この十余年は官を解かれて、夏冬の衣がへもできない、朝夕の食事も思ふようにできないほど落ちぶれて、有るか無きかのていでゐらっしゃった。そこへ清盛からお達しがあって、「申し上げねばならないことがある。是非来てください」とのこと。行隆は恐れをなして、「この十余年といふものは蟄居して何事にも関係しなかったのだが、誰かが私のことを悪く告げ口したのだろう」と落ち着かない。北方公達も「どんな目にあはされるのでせう」と泣いて悲しんだ。西八條からは「早く来い」と立て続けに催促がある。力も及ばず、人に車を借りて西八條に赴いた。すると思ひがけないことに、清盛がすぐに現れて直々のご対面となった。「御辺のお父上は、大きなことも小さなこともきちんとこなす人であったので、粗略には思ってをりません。あなたが長年閉じこもっておいでのこともお気の毒に思ってゐました。けれども後白河院が御政務をとられるので私の力ではどうにもできなかったのです。今は状況が変はりましたからご出仕なさい。官途のことも手配して差し上げませう。言ふことはそれだけです。わかったら早くお帰りなさい。」と言ひ残して奥へ入って行かれた。家に帰ると、宿所には女房たちが待ち受けてゐたが、死んだ人が生きて帰って来たような心地がして、さしつどいて、皆、喜びの涙にくれた。

清盛は源太夫判官季貞に命じて、行隆が支配する荘園であることを認める文書などを作成させた。とりあへず、困ってゐるだろうといふ配慮から、絹百疋、金百両にお米を添へたものを積んで送られた。さらに出仕の料として、雑色(雑役に従事する下男のこと)、牛飼ひ、牛、車まで送られた。行隆は、手の舞ひ、足の踏む所もどうして良いか分からないほどに喜んで、「これは一体夢だろうか、ああ夢か」と、まるでジャンボ宝くじにでも当たった時のように驚いた。その17日(治承3年、1179年11月17日)、五位の侍中に補せられて、もとの左少弁の地位に返り咲かれた。今年51歳。今さら若やがれるのだった。けれども、これはただ片時の栄花であるように見受けられる。

今日はスウェーデンでは祝日であった