平家物語 巻第五 「都遷 7」

2023-08-20 (日)(令和5年癸卯)<旧暦 7 月 5 日>(大安 庚戌 八白土星) Bernhard Bernt    第 33 週 第 27221 日

 

桓武天皇はそもそも平家の先祖であられる(桓武天皇第五の皇子・葛原親王の孫高望王の時、初めて平の姓を賜り、王氏を出て人臣につらなる。この桓武平氏の流れに平清盛があった)。桓武天皇は特にこの都に平安城といふ名前をつけて、平らかに安き都と書かれた。平家にしてみればもっともあがむべき都ではないか。先祖の帝がこんなにも愛された都を、大した理由もなしに他国他所へ移されることこそ浅ましい(嘆かはしい)ことだ。第五十二代嵯峨の皇帝の御時のことであるが、第五十一代平城の先帝は藤原薬子桓武天皇の寵臣として長岡遷都を推し進めた藤原種継の娘)を愛され、内侍にまでも抜擢されたが、薬子が兄仲成と組んでその権力拡大に走ったことがもとで世が乱れた(薬子の変)。その時にこの京を他国へ移さうと計画されたのだが、大臣・公卿・諸国の人民がその命令に従はなかったので、その遷都計画は中止された。一天下に王たる君、万乗の君でさへお遷しになることができなかった都であるのに、入道相国清盛は人臣の分際で都を遷されたのはとんでもないことである。

我が家の庭の一隅に。