平家物語 巻第五 「都遷 6」

2023-08-19 (土)(令和5年癸卯)<旧暦 7 月 4 日>(仏滅 己酉 九紫火星) Magnus Måns    第 33 週 第 27220 日

 

第五十代桓武天皇延暦3年(784年)10月2日、奈良の京春日の里より山城国長岡に移られた(長岡京平城京から北へ約40キロ)。それから10年が経った正月に大納言藤原小黒丸(房前の孫)、参議左大弁紀古佐美大僧都賢璟らをつかはして、葛野郡宇多の村(今の京都)を見せられた。両人ともに帝に申し上げた。「この地のていを見るに、流水を東にして左青龍、大道を西にして右白虎、沢畔を南にして前朱雀、高山を北にして後玄武、四相を備えた四神相応の地です。もっとも帝都を定めるのに相応しい土地といへませう。」それで乙城郡(愛宕郡)におはします賀茂大明神(京都市北区賀茂別雷神社)に告げ申させ給ひて、延暦13年(794年)11月21日、長岡京よりこの京へ移された(平安時代のはじまり)。それ以来、帝王32代、星霜は380餘歳の春秋を送り迎へた。「昔より代々の帝王、国々ところどころにおほくの都を建てられたけれども、この様な勝地はない」と言って、桓武天皇は特にこの地を気に入られた。大臣・公卿・諸方面に優れた人たちに仰せて、この地が長久なる様にと、土で八尺の人形を作り、くろがねの鎧兜を着せ、くろがねの弓矢を持たせて、東山の峯に西向きに建てられた。「末代にこの都を他国へ移すことがあれば、守護神となって阻止してください」とお約束があった。それで天下に事が起こればこの塚が必ず鳴動する。将軍が塚として今もある(京都市東山区華頂山の頂上、長楽寺の後峰にあたる)。

あちこちにキノコを見る季節になった。