薬子の変から保元の乱まで

2023-09-20 (水)(令和5年癸卯)<旧暦 8 月 6 日>(先勝 辛巳 四緑木星) Elise Lisa    第 38 週 第 27252 日

 

平家物語の「都遷」のところで、「薬子の変」のことがチラッと書かれてあった。延暦25年(806年)桓武天皇崩御により、皇子の平城天皇が即位された。平城天皇は式家の藤原薬子を寵愛されたが、即位後3年で退位し、弟の嵯峨天皇に位を譲られた。嵯峨天皇は北家・藤原冬嗣のサポートを受けてをられた。それで藤原氏の北家と式家の対立が激化した。藤原薬子とその兄の藤原仲成が企てた計画は失敗し、平城上皇は出家された。藤原仲成は左遷されることになったが監禁中に矢で射殺された。藤原薬子は毒杯を仰いで自殺した。この事件が決着してから、長期にわたる北家藤原氏の全盛時代が始まった。平安時代にはこのほかに、応天門の変(866年)、平将門の乱(935年・関東地方)、藤原純友の乱(937年・瀬戸内地方)、平忠常の乱(1028年・関東地方)、前九年の役(1051年・奥州)、後三年の役(1083年・奥州)などで乱が起きるが、1156年、鳥羽法皇崩御と同時に起きた保元の乱までは京の都はおおむね平安であった。この350年間には日本の国では死刑執行されることはなかったといふ話も聞いたことがある。江戸の260年間も平和であったが、切腹事件はあったと思ふ。平安時代にはまだ武士が起こってなかったので人が切腹する事件も無かったのではないかと思ふ。現代の日本でまだ死刑制度があるのは文明が未熟だからではないだらうか。

今日は散歩にも出なかった