平家物語「御産 3」

2021-09-26 (日)(令和3年辛丑)<旧暦 8 月 20 日> (先負 丁丑 八白土星) Enar Einar 第 38 週 第 26524 日

 

このように周囲の人たちは、あげて御産平安の祈りを祈ったのだが、中宮はご陣痛がしきりにあるばかりで、難しい状況が続いた。中宮の父母である清盛も二位尼も、胸に手を置いて「これはどうしたことでせう、どうしたことでせう」とおろおろして途方に暮れるばかりであった。誰かが何かを申し上げても「ともかく良いように、良いように」とおっしゃるばかりである。「これがもし戦の陣ならば、私はこんなに気おくれしなかっただろうに」と、後になって呟かれた。御験者は、房覚・昌雲両僧正、俊堯法印、豪禅・實全両僧都、各々が本尊を呼び覚ますための文句などを唱へ、各自の本山の本尊である仏たちに、せめつけては心をくだいて祈った。誠にそれこそはと思はれて尊くあった中に、後白河法皇は折しも新熊野(後白河法皇熊野神社を京都に勧請して建てた神社で、現在の東山区今熊野にある。京都国立博物館三十三間堂から東大路を南に下がって東海道本線のさらに南のあたり)へ御幸なるところであったので、そのご精進のついでに中宮の御寝所の周りの錦の帳の近くまで来られて、千手経を声を張り上げ張り上げお祈りになった。すると、ちょっと状況が変はって、あんなにも踊り狂った物の怪たちが少しなりをひそめるようになった。法皇のおっしゃるには、「いかなる物の怪であっても、この老法師がここにかうしてゐる以上は、近づくことはできまいぞ。ましてや、今あらはれた怨霊どもは、もともとわが朝恩によって、人としてたてられた者共ではないか。報謝の心があっても当然なのに、それがないのはまあ良いとしても、障碍になるようなわざをなすのはけしからん。速やかに退出せよ。」さらに千手経の文句が続いた。「女人が出産で苦しむ時にのぞんで、邪魔が生じて、苦しみが忍びがたくても、心をいたして大悲咒を誦すれば、鬼神退散して、安楽に出産できよう」そして総ての珠が水晶でできた数珠をおしもませになると、ついに中宮は平安に御産されたばかりでなく、赤ちゃんは皇子であられた。

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高い空に薄雲がかかって、秋の良い日であった。