ミクロの世界・現実の世界

2023-08-05 (土)(令和5年癸卯)<旧暦 6 月 19 日>(赤口 乙未 五黄土星) Ulrik Alrik    第 31 週 第 27206 日

 

電荷が振動すると電場が揺れる。電場が揺れると磁場が揺れる。磁場が揺れるとまた電場が揺れる。かうして電場と磁場は一方が弱まると他方が強まる様に絡みあって進んでいく。その様な波を電磁波と言って、1秒間に30万km進む。恐ろしいほどの速さだ。光も電磁波の一種である。赤い光の波長は約700nmほどで、紫色の光の波長は約400nm程度。この範囲外の波長の光は人間の目では感知できない。人間の目は一般には1mmの10分の1 (100,000nm)ほど離れたものまでなら感知できるといふ。うんと小さい世界は観察しようとしても観察できない。人間は万物が原子から成ることを知ってゐる。その原子の大きさは元素によって大小様々だが、およそ 0.1nm から 0,5nm くらいのオーダーであるといふ。ひとつの原子は原子核とそれを取り巻くいくつかの電子から成るが、エネルギー準位といふいくつかのレベルに分散されて、原子が外部からエネルギーを吸収すると、電子はより高いエネルギー準位に移る(光の吸収)。また、電子が励起状態から低いエネルギー準位に遷移する時にはエネルギーを放出する(光の放出)。ミクロの世界では僕にはわからないことが起きる。電子の位置と運動量の両者を正確に決定できないといふ。僕らの日常感覚では、ピッチャーの投げた球を見て打者はバットを振るわけだが、その玉の位置と運動量とがわかるからバットで球を打ち返すこともできるわけだ。それがミクロの世界ではまるで消えた魔球の様にわからなくなるものらしい。これは、本当は位置も運動量も正確に定まるのだが、人間の観察能力の精度に限界があって、そこまで細かくは観察できないのだ、と説明されるのならなんかわかる気もするのだが、人間の観察能力がどんなに優れてゐたとしても、本質的に位置と運動量の両者は定まらないものだといふ。そこに運動量といふ時間の概念が潜むことが大きな曲者だ。デカルトは「我思ふゆへに我あり」と言ったが、ミクロの世界では何かを観測するまではその対象は存在しないのだといふ説も奇妙な話だ。日常感覚では、空に浮かぶお月様はそれを眺める時だけそこにあって、ちょっと下を向いて視界から外すとその時はもうお月様はないのだよと言ふと、そんなバカなことはないよと反論されるが、その様なことがミクロの世界では起こるらしい。自分がこの世に生きてあることの意味といふか、自分が生まれる前にこの世界があったように死んだ後もこの世界は実在し続けると思ふのは幻想なのだらうかとか、実在の認識の根拠は何かとか、夜中に目が覚めるとよくその様なことを思ふ。

連日気圧の低い日が続いてゐたが、今日はようやく1000hPa以上になった。でも来週は大雨の予報で地方によっては災害になるかもしれないから気をつけろとテレビが言ってゐた。