「茜唄」の読後感

2023-04-07 (金)(令和5年癸卯)<旧暦 2 月 17 日>(赤口 乙未 二黒土星) Långfredagen Irma Irmelin  第 14 週 第 27086 日

 

コロナ以降、細々と平家物語を手で紙に写し取る作業をしてゐることもあって(それもいつまで続けられるか分からないが)、物語とのご縁の様なものを感じてしまふ。昨日の日経の読書案内の欄に今村翔吾著の「茜唄(上・下)」の記事があって(評者は縄田一男)、何となく気になってAmazonKindle版で購入して読んでみた。仕事をしない身ではあるのだが、己に課した毎日の日課に結構な時間がかかってしまふので、読書の時間など基本的に無いのだが、日課を全然しない日もあっても良いかと思って、今日は他のことは何もしなかった。今写しとってゐる部分は以仁王を奉じて源頼政が挙兵、宇治に敗死、といふ部分であるので、この小説はこれから先に起きることをめぐって述べられてゐる。だが、平家物語は如何に成立したかといふことにひとつの主題があって興味深かった。貴族の時代には命懸けになることも少なかったが、保元の乱以降の武士の時代には皆が命懸けで生きることになる。争ひはいけないことと万人が言ひながら人は争ふことをやめられない。人の歴史を通じて、命の重さが重い時代、軽い時代などあり得ないのだが、いくさで簡単に人が死ぬ時代にはあたかも生命が軽んじられてゐる印象を受けてしまふ。だが、それゆえにこそ命の大切さ、愛の哀しみがそこに込められてゐる様にも思ふ。平和のうちに毎日の様に殺人事件が起きる現代は、表向きには命の大事さを掲げながらも現実には命が軽んじられてゐる気がする。ちょっと読後感からズレてしまったが、平家物語は、平家の人々の悪かった面もきちんと書きながら、やはりその時代を生きた人たちの記録の物語であると改めて思った。

昨日の夕暮れ