末法思想

2022-04-18 (月)(令和4年壬寅)<旧暦 3 月 18 日>(友引 辛丑 八白土星) Annandag Påsk Valdemar Volmar 第 16 週 第 26738 日

 

平家物語を読むと、ところどころに「末法の世」と言ふ言葉が出てくる。末法思想とは、釈尊の入滅後、年代が経つにつれて正しい教法が衰微していくと言ふ考へである。正法、像法を経て末法の世に至るとされてゐる。平安時代は既に末法の世で、当時に生きる人々はそのことを真剣に受け止めたのだと思ふ。鎌倉新仏教として、短期間に法然親鸞栄西道元日蓮などが次々に輩出したのもそのような人々の意識と無縁ではなかったと思ふ。それから800年以上も経過した今は、まさに末法のそのまた末かもしれないのだが、僕らは平安時代の人たちほどには末法であることの危機意識を持ってゐないような気がする。昨日の次は今日、今日の次は明日と、連続的に時の流れを見送ってしまふのだが、2020年のコロナ感染症の流行からは世の中が大きく変はったと思ふ。ロシアによるウクライナへの侵攻でその変化がさらに加速したように感じられる。悲観的になってはいけないのだが、僕らは末法の世に生きてゐるのだと自覚し直すことも大事かなと思ふ。いまの状況が危機であることをしっかりと感じ取ることができれば、おのずから対策が生まれるのではないかと思ふ。

およそ天心は蒼々として測りがたし。空の青を眺めるだけで人は幸せになれる。