平家物語の功罪

2023-04-02 (日)(令和5年癸卯)<旧暦 2 月 12 日>(先勝 庚寅 六白金星)Gudmund Ingemund  第 13 週 第 27081 日

 

およそ古典のすごいところは、それを読んだことのない者であっても、その国に住めば漠としてそこに流れる思想が受け継がれてしまふことだ。文明とはそんなものかもしれない。活字もなく、きちんとした学校教育制度もない時代を幾世紀にもわたって語り継がれると、その様になるのかもしれない。例へば、平家物語を読んだことがない者でも、日本人であれば、その物語に流れる価値観が空気を読むようにわかってしまふ。それは必ずしも諸行無常とか移ろひゆくものへのあはれとか、驕りへの戒めとか、仏教的な諦念としてだけではなく、現実を生きる時の、社会でものを感じる時の感じ方に影響が及んでしまふ場合があると思ふ。さうであるので、逆に、平家物語を読む時は批判的な目でこれを読むことが大事なのではないかと思ふ。巻第四「宮御最期」のところで、高倉の宮の御乳母子、六条大夫宗信は、贄野池に飛んで入って、浮草の陰に隠れて震えながら戦ひの様子を見た。するとその目の前を、もう首のないお姿で宮が運ばれて行った。飛んで出てすがってお慰めしたいと思ったが恐ろしくてそれもできない。結局、敵が去ってから池より上がり、泣く泣く京の都へ戻った。すると人々は卑怯な奴だと言って、非難しないものはなかったと書かれてある。だが、本当にさうだろうか。こんな時、無碍に自分の命を差し出すことだけが能ではないと考へる人もゐたと思ふ。「あんただけでも生きて帰れて良かったよ」と慰めてくれる人だってあったのではないか。それを「にくまぬものこそなかりけれ」と一方的に書くものだから、そんな空気が影響力を持ってしまふ。先の戦争の時に戦陣訓に「生きて虜囚の辱めを受けず」と云ふ言葉があったが、これなども美文であるだけに上官からの命令を受ける前にココロが伝はってしまふことがあるのではないかと思ふ。そんな特質は平和な時代になっても同調圧力と云ふ形で残る。平家物語に「にくまぬものこそなかりけれ」と書かれた部分を読む時、僕は違和感を覚えてしまふ。

春の夕陽に映える S:ta Katarina kyrka