戦場における辞世の句

2023-04-03 (月)(令和5年癸卯)<旧暦 2 月 13 日>(友引 辛卯 七赤金星)Ferdinand Nanna  第 14 週 第 27082 日

 

平家物語 巻第四「宮御最期」のところで、源頼政が自決する場面がある。歌人でもあった頼政は敵が迫ってくるいくさの中で辞世の句を詠んだ。そんな時、誰がその句を書き留めたのだらう。あの場では確かに渡邊長七唱が介錯をしたから、唱がその句を覚えて後で紙に書き留めたのかなと思ふが、そんな切羽詰まった状況の中で一編の詞を暗記できるものかなと思ふ。高一の時、百人一首を暗記させられた時の苦労を思ひ出すと、それは奇跡の様な気がする。それに何より、唱だってまもなく殺されてしまふわけであるから、どんな風にその歌は現代まで生き延びたのかなと疑問に思ふ。もしかして、何日か前にこのことあるを予期して、頼政本人が書き留めておいたものを、平家物語では脚色されて、あたかもその場で詠まれたかの様な物語になったのかなとも思ふ。人は誰もいつ死ぬか分からないから、普段から辞世の句を用意しておかなければならないのかもしれない。ところで、頼政の辞世の句は「埋もれ木の」で始まる。後の歴史から見ると、それほど埋もれ木でもないと思ふが、その時のその心情はわかる気がする。話はさらに飛ぶが、幕末の大老井伊直弼は若い時代に、彦根城下の埋木舎(うもれぎのや)といふところで過ごした。この建物の名前がつけられた時に、どれだけ頼政の辞世の句が意識されたのかは分からない。あるいは単に偶然かもしれないが、その名を見ると僕はなんとなく頼政の辞世の句を連想してしまふ。

流石に4月ともなると雪の解けるのは早いがまだ路肩に残雪を見る