女の人の辞世の句

2023-04-09 (日)(令和5年癸卯)<旧暦 2 月 19 日>(友引 丁酉 四緑木星) Påskdagen Otto Ottilia  第 14 週 第 27088 日

 

数日前の記事で、源頼政の辞世の句のことを書いてから、何となく辞世の句といふものが気になって、色々な人の辞世の句を思ひ浮かべてみるのだが、あまり女の人の辞世の句が浮かんでこない。まづ第一に浮かぶのは細川ガラシャだらうか。

散りぬべき時知りてこそ世の中の花も花なれ人も人なれ

さらに調べると、お市の方にも次の様な辞世の句がある。

さらぬだに打ちぬるほども夏の夜の別れを誘ふほととぎすかな

これらは、歌を見ただけでは、作者が男であるか女であるかは判じ難い気がする。では百人一首の中に辞世の句はあるだらうか。女性の歌だけに限ってみれば、

儀同三司母

忘れじの行末まではかたければ今日をかぎりの命ともがな

和泉式部

あらざらむこの世のほかの思ひ出にいまひとたびの逢ふこともがな

式子内親王

玉の緒よ絶えなば絶えねながらへばしのぶることの弱りもぞする

くらいかなと思ふ。いづれも恋の歌で激しい。歌を見るかぎり女の恋は命懸けである。男にだって命懸けの恋はあるだらうが、恋の歌はあまり辞世の句にはならない様である。藤原義孝の歌に

君がため惜しからざりし命さへ長くもがなと思ひけるかな

といふ歌もあって、切ない調べだが、この人は21歳で夭折したと聞くと余計あはれに思ふ。

ちょっとそれたが、女性が盛んに社会に進出した現代では、恋の歌ではない辞世の句が女性たちによってもっとうたはれても良いのではないか。作者を伏せて、歌だけを見たときに、これは男の詠んだ歌か女の詠んだ歌か分からないほどになれば、真に男女同権の時代がやってくるのではないか。本心をいへばそれはちょっと寂しいのだが、その時本当の意味で女性の時代がやって来るのだと思ふ。

花をのみ待つらむ人に山里の雪間の草の春を見せばや ー 藤原家隆