平安時代のパワハラ

2020-05-17 (日)(令和2年庚子)<旧暦 4 月 25 日> (仏滅 庚申 六白金星) Rebecka Ruben Bönsöndagen Norges nationaldag   第 20 週 第 26028 日

 

平安時代には、現代的な意味での職業はなかったであろうから、歌や舞の得意な女性は遊女となることもあった。最初のうちは、宝塚スターがさうである様に、男装して舞ったが、後には烏帽子や刀をのけて水干だけのいでたちで踊り、白拍子と呼ばれた。当時はライブコンサートは多分無かったので、白拍子たちは貴族に仕へることが多かった。京の都に祇王・祇女といふ評判の姉妹があって、平清盛は姉の祇王がお気に入りであった。姉妹の母とぢにも家屋が与へられ、母子3人は潤沢な収入を得て幸せに暮らした。そして3年も過ぎた頃に、加賀國から来たといふまだ16歳の少女が都に現れて、京中の話題になった。名を仏御前と言った。仏御前は平清盛の前でお披露目したいと思ひ、ある日、西八条の清盛のお屋敷を訪ねた。ところが清盛はすげなく追ひ返した。それを見た祇王は、せめて対面だけでもしてあげてほしいと清盛に懇願した。帰りかかった仏御前は呼び止められてお屋敷に戻り、対面ばかりでなく、今様を歌ひ、舞も披露することができた。それを見た清盛は心を奪はれて、今度は仏御前を帰さうとしなかった。仏御前はそんなつもりで参ったのではない事を切々と訴へたが虚しかった。清盛は仏御前が祇王を憚ってのことと思ひ、その場で祇王を解雇した。あまりにも突然のことに祇王は宿所に帰っても、障子のうちに倒れ伏し、ただ泣くばかりであった。権力を乱用し、ちょっとした状況の変化で簡単に人を解雇する傾向は平安時代にもあったのだと思ふ。

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夕方散歩した時に淡い虹を見た。つかの間のことであった。