平家物語 巻第四 「宮御最期 8」

2023-04-01 (土)(令和5年癸卯)<旧暦 2 月 11 日>(赤口 己丑 五黄土星)Harald Hervor  第 13 週 第 27080 日

 

その中に宮の御乳母子であった六条大夫宗信もゐた。敵は後から続いて来るし、馬の足は弱いし、たまりかねて宗信は贄野池へ飛んで入った。浮き草を顔に覆ひ、震えてゐると、敵は目の前を過ぎて行った。しばらくするとつはものどもが四五百騎、ガヤガヤ言ひながら引き返してきた。見ると、浄衣を着て首もない死人がしとみの上に乗せてかついで来られた。あれは誰だらうと注意してみると、宮様であった。「我死なば、この笛を御棺に入れよ」と仰せになった、あの小枝といふ名の御笛もまだ御腰に挿されたままである。走り出て取りつき申し上げたいと思ったけれども、恐ろしくてそれもできなかった。敵が皆帰った後、池よりあがり、濡れたものを絞って着て、泣く泣く京へのぼった。すると、なんて奴だと言って、宗信を非難しないものはなかった。

一方、南都の方では大衆ひた甲七千餘人、宮のお迎へに出発してゐた。先陣は粉津(京都府木津、JR奈良線に木津といふ駅がある)に進み、後陣はまだ興福寺の南大門のあたりに滞ってゐた。宮様は光明山の鳥居の前で討たれたとニュースが流れて、大衆はみな力及ばず、涙を抑へてとどまった。もうあと5、6キロメートル落ちのびることができれば、討たれずに済んだかもしれないのに、宮様の御運のほどを思へば、心のいたむことであった。

4月なのに朝は氷点下、でも午後には5℃ほどか。花はまだ遠い。