平家物語「一行阿闍梨之沙汰4」

2020-10-21 (水)(令和2年庚子)<旧暦 9 月 5 日> (先勝 丁酉 六白金星) Ursula Yrsa   第 43 週 第 26185 日

 

平安時代の中国には共産党などなかったから、中国は周囲の国々からの尊敬を集めてゐた。今の中国は人気のない国になってしまったが、平安時代の日本人にとって中国は尊敬と憧れの国であったと思ふ。例へば白居易が書いた数々の詩は日本にもたらされ、日本の文学にも大きな影響を与へた。いがみ合ってばかりゐないで、中国にはあの時代の良さを取り戻して欲しいものだと僕は心の隅で思ってゐる。ところで、今読んでゐる平家物語の章の名前に含まれる一行阿闍梨とは中国のお坊さんの名である。無実の罪を着せられた点で今回の事件と似てゐると思はれてか、中国でのお話が物語に引用されてゐる。これも中国への尊敬の表れではないだろうか。白居易が「長恨歌」を書いて以来、玄宗皇帝と楊貴妃は日本でも人気の高いキャラクターとなったが、一行阿闍梨はその玄宗皇帝の御身のお世話をする御持僧であった。それが、心ないものの讒言によって、あろうことか帝のお后、楊貴妃との間に浮名を立てられてしまった。そして重罪に科せられたのである。以下、平家物語に戻る。

 

大衆は前座主を東塔の南谷妙光坊へお移し申し上げた。仏菩薩が仮に人に化したと言はれるほどの偉人であっても、いっときの災難をお逃れになることはできないのであろうか。昔大唐の一行阿闍梨玄宗皇帝の御持僧であったが、お后、楊貴妃との間に浮名を立てられた。昔も今も、大国も小国も、人の口さがないのはどこも同じで噂に根拠はないのである。しかし、その疑ひによって果羅國へ流された。その國へは三つの道がある。林池道と言って、帝の行かれる道、幽地道と言って普通の人の通ふ道、暗穴道と言って重科のものをつかはす道である。一行阿闍梨は大犯罪者とされたので暗穴道にやられた。七日七夜の間、月日の光を見ずに行く道である。冥々として暗い道に人はなく、歩むうちにも道に迷ひ、深々と樹木に覆はれて山は深い。谷の底に鳥の一声が寂しく聞こえるばかりで、濡れ衣を着せられた苔の衣(僧の衣)は乾くこともない。無実の罪によって遠流の重科を被ったことを、天はあはれんで、九曜のかたち(日・月・火・水・木・金・土に蝕星、彗星を加へたシンボル)を行く手に投影する様にお示しになり、一行阿闍梨をお守りくださった。すると一行は右の指を食ひ切って、左の袂に九曜のかたちを写し取った。和漢両朝に真言の本尊とされる九曜の曼荼羅とはこれである。

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今日は久しぶりの自転車でこの道を走った。