人生の大問題

2022-09-02 (金)(令和4年壬寅)<旧暦 8 月 7 日>(友引 戊午 九紫火星) Justus Justina 第 35 週 第 26869 日

 

「しあはせは歩いて来ない」といふ歌がある。なぜ歩いて来てくれないのかといふと、結局自分に欲望があるからだ。僕は73になった今でも欲望の塊の様なところがあって、そんな自分が言ふのはをかしいのだが、この欲望を抑制できさへすれば、しあはせは向かうから歩いてやって来るに違ひないといふ希望を持って生きてゐる。欲望をあまりに抑制すると、何のために生きてゐるのかわからないといふ意見もあるだらうが、そもそも人生に目的などないのだ。それは目には見えない、身の回りの空気の、窒素や酸素の分子が飛び交ってぶつかりあふ、その分子のひとつひとつに何の目的もないのと同じことだ。そこには善も悪もない。僕ぐらいの年齢になると、高校の同級生の何人かは既に鬼籍に入ってゐる。そんな年齢に達して、命を繋いで今日を生きてゐられるだけでもありがたいと思ふ。もし、生きるのが辛いと思ったら、今まで気づかなかった欲望のレベルを少し下げる様にしてみる。これが簡単なことではないのだし、きっと程度の問題はあるだらうとは思ふけれども、、。「不自由を常と思へば不足なし」いつか欲望を完全に捨て去って、宇宙の営みにただ身をまかせるだけの生活ができたら良いなと思ふ。しかし、なかなかその様なレベルに到達できるものではない。放っておけば自然に湧き上がってくる欲望とどんな風に付き合へば良いか、これは僕にとって、人生の大問題である。

夕方になると、ウサギが我が家の庭先まで来て草を食むのは、同居人が時々ニンジンをやるからである。