ゴルバチョフ氏の逝去

2022-09-01 (木)(令和4年壬寅)<旧暦 8 月 6 日>(先勝 丁巳 一白水星)二百十日 Samuel Sam 第 35 週 第 26868 日

 

8月末に亡くなったゴルバチョフ氏に関するニュースは日本でもスウェーデンでも大きく取り上げられた。そのことによって、その人の生前為したことの大きさを教へられるところがあった。旧ソヴィエト連邦を弱体化させ、ついには崩壊させてしまったことに対して、一部の人たちからは低く評価されることもあるらしいけれども、全地球的にみれば、それはやむを得ぬ痛みであったのではないかと思ふ。ソ連といふ国家の中で民主主義的な価値を問ひかけたことの功績は大きいと思ふ。核戦争の憂ひをこの地上から一時期遠ざけることができた意味でも、現代の社会はどの国も、繰り返しゴルバチョフ氏の業績を冷静に振り返らなければならないのではないかと思ふ。僕の記憶からはすっかり消えてゐたのだが、1991年に被爆地・長崎、1992 年に広島を訪れてゐて、今のように核戦争の恐怖が身近に感じられるようになってくると、改めてその訪問の意義の深さを思ふ。その昔、レーニンは後継者としてスターリンだけは外したいと遺言したといふ話を聞いたことがある。それでもスターリンは権力の座にのし上がってロシアの歴史に大きな汚点を残した。ゴルバチョフ氏もプーチン氏が後継者としてロシアの権力を握ることに大きな危惧を抱いてゐたといふ。それでもプーチン氏は権力者にのし上がってロシアの汚点をもう取り返せないほど広げつつある。歴史の繰り返しをここにも感じる。ゴルバチョフ氏が「平和のためには対話が必要である」と唱へたことの意義は、西側諸国もしっかりと肝に銘じないといけないのではないかと思ふ。

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