エリートたちの挫折

2022-07-01 (金)(令和4年壬寅)<旧暦 6 月 3 日>(友引 乙卯 一白水星) Aron Mirjam 第 26 週 第 26812 日

 

小さい頃は、ともかく勉強のよくできる人は尊敬の対象だった。自分で頑張ってもなかなかできる様にならないのに、この人がこれだけできるのは、きっと見えないところで努力してゐるからだらうと思って尊敬したのである。でも、大人になるとそんなに単純にはいかなくなった。愚直な勉学に励むよりは、チャッカリとズルく要点だけを把握して、上位の成績をとる人もゐたからである。勉強はできても人間的に良い人かどうかはまた別である。そのことに気づいたのはずっと大人になってからであった。エリートだからと言ってそのことだけを根拠に尊敬してはいけないと思ふ。ロシアのプーチンも少し前の時代のスターリンもエリートといへば超エリートであったが、全く尊敬の対象にはならない。また、関空からビジネスジェットレバノンへ逃亡したゴーン元日産会長もエリートには違ひないし、藍綬褒章まで受賞してゐるが、多くの人にとって尊敬の対象にはならないと思ふ。彼らは人から尊敬されないものだからますます頑固な殻に閉じこもり、頑固な殻に閉じこもるものだからますます人から尊敬されなくなってゐる。彼らに共通するのは「命の大切さ」への感度が低いことである。彼らにとって戦死した兵士の数は単なる統計上の数字でしかない。その様なエリートたちが早晩挫折することは間違ひない。そんな人たちが挫折するのを見ても、人々の心にあはれを誘ふものは何もない。何とか彼らに「あはれを知る」エリートになってもらへないものかと思ふ。どんな人も、勉強ができない人間であっても、自分もまたひとりの人間であることを深く自覚すれば、「あはれを知る」ことはできる。ここで思ひ起こすべきは「一切衆生悉有仏性」といふ言葉だ。プーチンの様な人にも仏性はあると思はねばならない。こちらが愚鈍であるせいで、どんなに繰り返し裏切られても、それをどこまでも信じる勇気を持つことが大事だと思ふ。

名前を知らないがスウェーデンでよく見かける夏の花