宋襄の仁

2022-07-02 (土)(令和4年壬寅)<旧暦 6 月 4 日>(先負 丙辰 二黒土星半夏生 Rosa Rosita 第 26 週 第 26813 日

 

「宋襄の仁」といふ言葉がある。コトバンクで調べると、「むやみに情けをかけたり、無意味な仁義だてをして、そのためにひどい目にあうこと。」と書いてある。親切ごころは悪いことではないけれどどちらかといふとその人は愚かであるといふ評価が下されがちである。そのコトバンクの記述の「由来」を転写すると、「春秋左氏伝―僖公二二年」に記録されているできごとから。紀元前六三八年、中国の春秋時代。宋と楚という二つの国が、ある川のほとりで戦うことになりました。宋軍はすでに陣を構え終えましたが、楚の軍はまだ川を渡っている途中。攻撃の絶好のチャンスです。しかし、大臣が進言しても、宋の君主、襄公は攻撃命令を出しません。楚軍が川を渡り終えても、襄公はまだ動かず。川を渡ったために乱れた隊列を、楚軍が整え直したところで、ようやく攻撃開始。その結果、宋軍は手痛い敗北を喫してしまったのでした。そのことを人々が非難すると、襄公は、「君子の軍隊は、隊列の整っていない敵に攻め込みはしないものだ」と答えたということです。」プーチンに聞かせたい話ではないか。この話は「史記」の「宋微子世家」にも出てくる。「太史公曰」といふ司馬遷自身の公評があって、それによると、「襄公は泓水(おうすい)の戦ひで敗れた。それにもかかはらず、識者の間には、襄公を称揚する見解がある。それといふのも、礼儀の失はれた現状を憂へるからである。その見地からすれば、襄公の礼儀の心は、賞賛に値するのである。」(徳間書店 史記 I 覇者の条件」から引用)。とすると、「宋襄の仁」を単純に愚かな行為とみなして顧みないのは、現代の世の中から礼儀が失はれてしまったことに、僕たち自身が気付かないからかもしれない。

夏雲