戦争と日記

2022-06-17 (金)(令和4年壬寅)<旧暦 5 月 19 日>(大安 辛丑 五黄土星) Torborg Torvald  第 24 週 第 26798 日

 

今朝の天声人語には「わが心の鬼院先生」と題して、ドナルド・キーン先生のことが書かれてあった。最近は日本人以上に日本語の専門家である外国出身の人が増えてきた様に見受けられるが、その先鞭をつけたのはドナルド・キーン先生であったと思ふ。日本語が母国語でない人でも日本語を日本人以上に自分の血肉にできる例を見る時、その人への敬意は自ずと働くが、そればかりでなくて、日本語の持つ潜在的な力を感じて嬉しくなる。日本語は日本人だけのためにあるのではない。ドナルド・キーン先生は従軍中にアッツ島などで玉砕した兵士が残した遺書や手紙を読んで深く心を動かされたといふことである。先生は日本文学史の中で、日記がひとつのジャンルをなしてゐることを強調されたと思ふ。手紙や日記は誰でも書くし、それを書いたから直ちに文学になるわけでもないと思ふけれども、やはり人の心を動かすことがある点において、文学に通じるものがあると思ふ。アンネの日記も、後世読まれることを意識して綴られたものではないであらうが、それだけに文学として重いものを感じる。また、戦争末期には広島、長崎をはじめとして日本の多くの都市が焼かれたが、その中で灰燼に帰した幾千幾万の日記を思ふとあはれだ。いま、ウクライナ戦争に動員されてゐる兵士たちも、ロシア側にせよ、ウクライナ側にせよ日記を書き残す兵隊さんが多いのではないかと思ふ。彼らはどんなことを書き残すであらうか。日記が兵火にまみれてしまはないやうに、どこかに保存してあげられないものかと思ふ。

時々雨雲が去来するが、大体は晴れ。晴れると陽射しは日本の夏の様。