選民とはエリート意識か

2021-06-17 (木)(令和3年辛丑)<旧暦 5 月 8 日> (赤口 丙申 九紫火星)  Torborg Torvald    第 24 週 第 26423 日

 

ユダヤ教のことはあまり知らないのだが、ユダヤ人には選民思想があると聞く。彼らは神から選ばれて、他民族を神に導く使命を持つ民族であると自覚してゐる。歴史的にユダヤ人たちが迫害されることが多いのは、そのような考へと無縁ではないかもしれない。しかし、一般に自分は選ばれた人間であると自分に言ひ聞かせることは悪いことではないと思ふ。誰も見てないところで悪事を働こうといふ気が起きたときに、自分は選ばれた人間であるからそんなことはできないと判断するのであれば、それはポジティブなことであると思ふ。人は自分の内側に向かっては選ばれた人間であるを自覚し、外側に向かってはそのような面が出ないようにすれば良いのかなと思ふ。でも、もし自分が選ばれた人間であるなら、この世の中には選ばれなかった人たちもゐるわけで、そこに差別が生まれることはないのだろうか。選ばれた人間だけが救はれるのなら、選ばれなかった人はどうでも良いといふことにならないだろうか。何か小乗仏教的な感じがしないでもない。大乗仏教のように「一切衆生は皆救はれる」ことを掲げつつ、かつ、「自分は選ばれた人間である」とすることは矛盾しないのだろうか。

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巻雲(?)が多かった。肉眼ではすぐにわかるが、写真にすると三日月のお月様がわかりにくい。