プーチンの祖国愛と安倍元首相の戦後レジームからの脱却は似てゐる

2022-08-28 (日)(令和4年壬寅)<旧暦 8 月 2 日>(先負 癸丑 五黄土星) Fatima Leila 第 34 週 第 26864 日

 

今年2月24日に始まったウクライナへの侵攻で、プーチンの評価は世界的に一斉に下がったけれども、プーチンにしてみれば、多分、自分なりの価値観から行動してゐることであって、自分の方はむしろ正しいと信じてゐる様に見える。その根底にあるものは祖国ロシアへの愛であると思ふ。祖国への愛があることは良いことであると思ふのだが、他の民族を蔑んではいけない。ましてロシアとウクライナは兄弟の様なところがあるのだし。プーチンは自分の生きてゐるうちに大きなロシアを復活させたいといふ変な野望を持ったために、先を急いで結果的に大失敗をしてしまった。僕はプーチンの祖国への愛と、安倍元首相の戦後レジームからの脱却とには基本的なところで共通点がある様に思はれてならない。自分の国を誇りに思ふことは良いことであるが、それはひとつ間違ふと戦争を呼び起こすリスクに繋がる。安倍元首相の悲願が成就しなかったのは、ご本人は不満であられたかもしれないが、それを阻止したのは日本の民衆の健全な力ではなかったかと思ふ。ウクライナ侵攻がきっかけとなって、他国はいつどの様に我が国に侵略してくるかわからないことがわかった。だから、今は防衛力を高めようといふ機運があるが、武装のおかげで守られる平和よりも文化の力で守られる平和を目指さないといけないと思ふ。真に文化的なものに対しては暴力による侵攻はできないものである。それでも侵攻されてしまふのなら、それは我々の側に文化の力が足りなかったからだと思ふ。「君が武装解除したら僕も武装解除するよ」とまづ相手の行動を促しても互ひに武装を解くことはできない。平和の実現のためにまづ自分の方から武装を解くべきなのであって、いまの日本の動きはそれに逆行する様に思はれる。東京都の住民が、明日は埼玉県が攻めてくるかもしれないから武装しようと言ひ出すことがない様に、国際間でも諸国との間にその様な信頼関係を築いていくことが大事なんだと思ふ。

今日は雨で家から一歩も出なかった。ここでは穏やかな雨であったが、Linköping などいくつかの都市では道路が冠水するほど激しく降ったようである。