ウクライナ侵攻から一年

2023-02-23 (木)(令和5年癸卯)<旧暦 2 月 4 日>(大安 壬子 四緑木星天皇誕生日 Torsten Torun 第 8 週 第 27043 日

 

ロシアによるウクライナ侵攻が始まって明日で一年になる。武器供与といふ形で世界の多くの国々が巻き込まれて、戦争はエスカレートするばかりだ。もしお互いが相手が降参するまで攻めることをやめないのであれば、戦争は簡単には終はらないと思ふ。今必要なのは武器供与ではなくて対話の場であると思ふ。プーチンは内心ではロシア側に非のあることを知りながら、交渉術を駆使して、表向きは「戦争を仕掛けたのは西側諸国だ」などと言ふ。その心には、己の越し方を振り返って、「自分は神の託宣に従ってやってゐる」といふ思ひこみがあるやうに見受けられてならない。その思ひこみはどうすればリセットできるだらうか。プーチンが真に聖霊に満たされる機会があれば、その時、きっと和平は進むと思ふ。しかし、それはパウロの回心にも似た重大な変化をプーチンの内面に期待することだと思ふ。容易ではないが、どんな人間もどんな状況でも自らを変化させる力があることを期待したい。バイデン大統領はキエフに行って、弁舌を震はせてロシアの非を指摘した。それはまさにその通りであると思ふけれども、その様な方向からことの打開を探ってもプーチンの心を開かせることはできないと思ふ。表面的な探り合い、騙し合いの交渉を捨てて、肚をわって話し合える関係の構築ができないものか。日本の幕末における勝海舟西郷隆盛の間に見られた様な高い密度の交渉はできないものか。それには交渉する人間に「命も要らず名も要らず官位も金も要らず」といふ大変な覚悟がなければならないのだが、そんなリーダーが現代に現れてくれないものかと思ふ。この世の中は、誰もが平和を希求する様に見えて、実は戦争が簡単に終はっては困る会社があるのではないかと危惧する。ウクライナ侵攻がきっかけとなって、世界の人々の貧富の差がますます拡大したことはないだらうか。静かな平和な時代に早く戻ってほしい。

今日はまた雪になった