仏教の中の時間

2022-04-07 (木)(令和4年壬寅)<旧暦 3 月 7 日>(先負 庚寅 六白金星) Världshälsodagen Irma Irmelin 第 14 週 第 26727 日

 

カルロ・ロヴェツリの「時間は存在しない」によると、時間の最小単位は 10 の -44 乗ほどだといふ。1秒といふ時間は僕らにはアッといふまに過ぎ去る時間であるが、それは見方によっては気の遠くなるほどの長い時間でもある。宇宙の年齢は138億歳とも言はれるが、これは1.38 * 10 の10乗年であるから、10 の -44 乗といふ値が如何に途方もなく小さいものであるかがわかるような気がする。そのような細かい世界には時間は存在しないのかもしれないが、僕らの住む巨視的な世界では時間はやはり流れるものとして実感される。僕は自分なりに仏教的な生き方を模索するのだが、僕が思ふには三つの柱がある。「諸行無常」「因果応報」「悉有仏性」がそれである。このうち、「諸行無常」と「因果応報」は時間と密接に関はってゐる。自分には自分の時間しかない。他の人と同じ時を共有するといふ思ひは幻想に過ぎないのかもしれない。ウクライナで戦争が起きるのもそれは自分の時間とどのように関はってゐるのかなと思ふ。「人間にはそれぞれその人間にふさはしい事件しか起こらない」。ウクライナで戦争が起きるのも、結局は自分の生き方が悪いからそのような事件が起こることになるのではないかと、やや飛躍したようなことを思ふ。世界は関係でできてゐるといふ。悪い事件が起きるのも自分との関係で起きるのであって、あれは自分とは関係のないことと思って見過ごしてはいけないと思ふ。また、「悪いヤツをやっつけろ」的な発想では問題は解決しないと思ふ。

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雨の一日。散歩も行かなかった。夜になって窓の外に雨の音あり。