ウクライナ侵攻半年

2022-08-24 (水)(令和4年壬寅)<旧暦 7 月 27 日>(先負 己酉 九紫火星) Bartolomeus 第 34 週 第 26860 日

 

日本は過去に、してはならない戦争をしてしまった。戦争の悲惨を体験した人々は「戦争だけはどんな事があってもやっちゃいけない」と口々に語った。僕らはそれを聞いて育ったから、戦争をしてはいけないものだと分かってゐる。戦争が、どんな事があってもやってはいけないことなら、「敵がいきなり本土に襲来して蹂躙され奴隷にされても、戦ってはいけないのですね」といふことになる。さうならないために外交といふものがあるのだけれども。戦争を避けることは、特に始まってしまった後では、やさしいことではない。80年ほど前、昨日まで市民生活を営んでゐた若者のもとに召集令状が届いた時、日本の若い兵士たちはそれぞれどんな思ひで戦地に赴いたかなと、今更ながら思ふ。そして、もしも自分がいまウクライナ人であったなら、どんな態度をとるだらうか。戦争はやってはいけないことなので、私は兵役を拒否します、と宣言できるだらうか。そこには自分だけは安全のままでゐたいといふ気持ちが見え隠れする。辛いことは人に押し付けて、自分だけは安楽な道を求めることに、結果的になってしまふかもしれない。でも、どんなに屈辱的なことでも、決して暴力に訴へることなくじっと耐えて、心を強く持って、希望を持って時を待つ、といふ選択もあるのではないだらうか。どうせ取られてしまふ命なら、暴力を使はずに最後まで抵抗を続けるといふ生き方はないのだらうか。ロシア軍によるウクライナ侵攻から半年が過ぎた。ゼレンスキー大統領は次第にエスカレートしていく感じがあって気になる。恨みをもって恨みにこたへてはいけないと思ふ。世界的に、エネルギーや水や食料や、人間が生きる場としての地球の環境がどんどん悪くなってきてゐるのに、それだから皆が仲良く協力しあって守っていかねばならない環境であるのに、戦争といふ愚かな行為で状況を恐ろしく悪化させてゐる。こんな時代を生きなければならないのは、自分の平和への祈りが真剣ではないからだらうか。

町へ行く途中に空を広く見渡せる場所がある。