弾丸の飛んでこないところで祈る平和

2022-03-14 (月)(令和4年壬寅)<旧暦 2 月 12 日>(先勝 丙寅 九紫火星) Matilda Maud 第 11 週 第 26703 日

 

なんともウクライナ情勢は気が重い。ウクライナの兵士にしてみれば、西側諸国はもっと軍事的に援助してくれても良いのではないかと思ふかもしれないが、西側諸国は手を貸すことで世界大戦に拡大するリスクがあることを恐れてゐると思ふ。所詮、自分の国は自分で守らなければならないといふことだと思ふ。それでももしも自分がウクライナの住民であったら、どうするだろう。一切の暴力に反対する立場から言へば、武器を手に持って応戦することはできないはずだ。しかし、戦はずに状況を傍観すれば、意気地なしとみなされてしまふ。戦士達だって本当は戦ひたくないのに、国を守るために命をかけてゐるのだ。80年前の戦争において、日本の兵士たちも同じではなかったか。僕は戦地に行くのは嫌だからやめます、とはなかなか言へないものだ。暴力を使はずに、しかし、どこまでも抵抗するといふのは難しいと思ふ。そのような葛藤の苦しみを思はずに、弾丸の飛んでこないところで世界平和を祈るのは、現場からは共感されないと思ふ。さう思ひつつ、結局何もできない。

f:id:sveski:20220315064403j:plain

Nyköping