カタカナの不思議

2022-08-11 (木)(令和4年壬寅)<旧暦 7 月 14 日>(友引 丙申 四緑木星)山の日 Susanna 第 32 週 第 26853 日

 

現代日本語は、古くからのやまとことば(ひらがなで書く)、漢語(漢字で書く)、ヨーロッパ語など(カタカナで書く)といふ三つの源の違ふ単語をまぜて使ふ(角川必携国語辞典の前書きから)。では、カタカナはヨーロッパ語などが日本に入ってくる頃に出来たのかといへば、さうではなく起源はもっとずっと古く、ネットなどには、ひらがなとカタカナは、平安時代初期に作られたであらうと書かれてある。けれども、竹取物語を見ても伊勢物語を見ても、その後の古典文学を見ても、カタカナなんて出て来ないのではないか。それにもかかはらず、カタカナが現代まで生き延びたのはなぜか。それは庶民の間で「耳に入ってくる音をそのまま文字にする」役割をカタカナが担って来たからではないかと思ふ。カタカナは言はば発音記号であって、発音記号がそのまま文字となる素晴らしい特性を日本語は持ってゐるのだと思ふ。昭和時代の名作に「戦艦大和ノ最期」があるが、あれは漢字とカタカナで書かれてゐる。昭和天皇の昭和20年8月15日正午に放送された「終戦詔書」も漢字とカタカナで書かれてゐる。あの戦争までは日本語は一般に漢字とカタカナで書かれることも多かった。それは明治時代に始まったのだと思ふ。教育勅語、昔の尋常小学修身書もやはり漢字とカタカナで書かれてゐた。思ふに、明治新政府が義務教育を国民に課した時に、多くの国民は文字を知らなかったのかもしれない。それで「耳に入った音がそのまま文字になる」カタカナを採用して、誰にも学びやすくしたのではないだらうか。その全国的な教育効果の延長上に「戦艦大和ノ最期」があるのかもしれない。現代でもヨーロッパ語や動物の鳴き声や鐘の音などをカタカナで書く習慣があるのは、意味は分からなくてもともかくも「耳に入ってくる音をそのまま文字にする」機能が使用者に呼び覚まされるからではないだらうか。それにしても、千年もの間、「ひらがな」があるのになお「カタカナ」が生き延びたのは素晴らしいことであると思ふ。

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