漢字を手で書いてみる

2019-07-25 (木)(令和元年己亥)<旧暦 6 月 23 日>(仏滅 癸亥 四緑木星)下弦 Jakob 第 30週 第 25732 日

 

漢字は簡略な方が良いのか、昔のまま複雑な方が良いのか、僕にはよく分からない。まだ若かった頃読んだ本に以下の様なことが書いてあったのを覚えてゐる。漢字はそもそも中国で出来た文字だが、彼の国では一般市民よりもエリートのためにあった。漢字の読み書きが出来るのはエリートだけだった。エリートだけが特権的に漢字の使用を認められれば、彼らはその情報を独占できた。既得権を持った彼らは、一般市民が勉強して這ひ上って漢字の世界に参入してくることを嫌った。このため、初心者がちょっと見ただけで圧倒的に難しい様に思はせ、勉強しようといふ気力をはなからくじけさせるために必要以上に漢字は難しくしてあるのだと。その説が正しいのかどうか、僕は知らない。それでも、江戸時代の日本人は、活版印刷もなかった時代に、コンピュータを駆使する現代人よりもたくさんの漢字を使ひこなしたのではないかと思ふ。現代では塾へ行く代はりに多教科にわたって色々なアプリがあって、計算問題や英語の勉強などは機械で勉強できる時代になった。だが、漢字の書き取り(漢字を手書きでバランスよい形に書く練習)だけは機械ではできない重要な学習ではないかと思ふ。機械万能の時代であればこそ、手書きで書かれたものの価値が見直される時代がくるのではないかと僕は密かに思ってゐる。

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思ひっきりの夏空。白雲漠々、人生悠々。