平家物語「無文 3」

2022-02-22 (火)(令和4年壬寅)<旧暦 1 月 22 日>(仏滅 丙午 七赤金星) Pia 第 8 週 第 26683 日

 

その日の朝、重盛の長男である権亮少将維盛は、院の御所へ出かけようとしてゐたところを父に呼びとめられた。「親たるものとしてこんなことを言ふのはおこがましいが、御辺は <<この当時、自分の息子に対してでも、このような敬語を使ふ風習があったと注記にあり>> 子供としてよくできた子である。けれどもこの世の中のありさまがどうなるだろうかと心細く思はれることだ。貞能は居るか。少将に酒をすすめてくれ」すると貞能はお酌をしに来た。「この盃をまづ少将に取らせたいが、親より先に飲むこともできないであろうから、重盛がまづ受けて、それから少将にさすことにしよう」と言って、三度の盃を受けて、少将に盃を回した。少将が三度の盃を受ける間に「貞能、引き出物を持って参れ」と重盛が言ふと、かしこまって承り、錦の袋に入った御太刀を持ってきた。「ああ、さてはわが家に伝はる小烏と言ふ太刀だな」と維盛は嬉しさうに手に取ってみると、さうではなくて、大臣葬の時に用ゐる無文の太刀であった。その時、少将の気色がハッと変はって、たいそう不吉さうな表情になった。重盛は涙をハラハラと流して、「少将、それは貞能が間違へたのではないのだよ。なぜかといへば、この太刀は大臣葬の時に用ゐる無文の太刀なのだ。清盛公に万一のことがあった時に、重盛がこの太刀を佩いて葬送しようと持ってゐたものだ。けれども、いまは重盛、入道殿に先立つことになったので、御辺に奉るのである」と言った。少将はこれを聞いて、なんと言って返事をして良いかも分からず、ただ涙にむせびうつぶして、その日は出仕も取りやめにした。布を頭上にかざして伏して過ごした。その後重盛が熊野へ参り、下向して病気になり、いくほどもなくとうとうお亡くなりになったことについては、それで初めて、なるほど、さういふことであったのかと合点がいくのであった。

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