平家物語「赦文 4」

2021-08-19 (木)(令和3年辛丑)<旧暦 7 月 12 日> (赤口 己亥 一白水星) Magnus Måns 第 33 週 第 26486 日

 

門脇の宰相(平教盛)はこのようなことを伝へ聞いたので、小松殿(平重盛)に言った。「中宮御産のお祈りがさまざまになされてます。ですが、何と言っても有罪者をことごとく赦免するに勝るものはありません。とりわけ鬼界ヶ島の流人どもを召し帰したなら、その功徳たるやどんなに大きなものとなることでせう。」小松殿は早速、父の清盛のところへ行って、「あの丹波少将(藤原成経)のことを、宰相がひどく嘆願するので気の毒になります。中宮のお苦しみについては、大納言の成親卿の死霊が祟ってゐるともお聞きしてます。その大納言の死霊を慰めるにつけても、いま生きてある子息の少将をこそ召し帰されるのがよろしいでせう。他人の心配事をなくしてあげれば思ってゐることも叶ひ、人の願ひを聞き入れてあげれば、御願もたちどころに叶ふことになるでせう。さうなれば中宮にはやがて皇子ご誕生あって、平家一門の栄華はいよいよ盛んになることでせう。」と申し上げた。清盛は日頃にも似ず、ことのほかに穏やかな表情で、「さてさて、少将についてはさうするにしても、残りの俊寛と康頼法師についてはどう思ふかね」「それも同じように召し帰されるべきです。もし、一人でも召し帰さないことになれば、なかなかの罪業として残ります。」と申し上げた。すると清盛は「康頼法師については良いとしても、俊寛の奴めはダメだ。あいつは私の口添へがあって一人前になったのだ。それなのに、場所もたくさんあるのに、あろうことか自分の山荘の鹿の谷に城郭を構へて、なんぞといふことにつけてけしからん行為ばかりあったことだから、俊寛を許すなどとは到底考へてもみない。」と言った。小松殿は家に帰ると叔父の宰相をお呼びして申し上げた。「少将はすでに赦免になりましたよ。どうぞご安心ください。」と言ふと宰相は手を合はせて喜ぶのだった。「流刑地に向けて出発した時も、舅の教盛はどうしてこの成経を預かろうと申し出てくれないのかと、私に催促するような表情で、顔を合はせるたびに涙を流すのがかはいさうでした。」と宰相が言ふと、小松殿は「本当にさうでせう。誰だって我が子はかはいいものですから。私から清盛公によく頼んでおきませう。」と答へて中へ入って行かれた。

かうして、鬼界ヶ島の流人どもの赦免が決まって、清盛は赦し文を書いた。御使ひはすぐに都を発った。宰相はあまりの嬉しさに御使ひに私の使ひをつけて派遣した。御使ひは急ぎに急ぎ、昼夜兼行で急行したけれども、海路であるので思ふように進めないこともある。浪風をしのいで行くほどに、都を出たのは7月下旬であったが、9月20日頃になってようやく鬼界ヶ島に着いた。

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風が随分涼しいと感じるようになった。