karma

2021-11-21 (日)(令和3年辛丑)<旧暦 10 月 17 日> (友引 癸酉 六白金星) Helga Olga 第 46 週 第 26590 日

 

カルマといふのは因果応報を指す言葉である。前世での行ひは良いも悪いもいづれ必ず自分に戻って来るといふ考へを指すと思ふ。元々は東洋の言葉だと思ふが、英語の字引 (Oxford Advanced Learners) にも karma として載ってゐた。原因があるから結果がある。極めて合理的な考へであると思ふが、その一方で、この世に生まれたその時に、「はい、あなたは過去の宿業を背負ってこの世に生まれてきたのですよ」と宣告を受ける様なもので、それは決してゼロからの出発ではない。人それぞれにその出発点は持って生まれた遺伝子によってさまざまであり、決して平等な出発条件ではない。生きてゐると色々な出来事に遭遇する。なぜ、自分がそんな目にあふのかわからないこともある。そんな運命の因果をカルマは前世からの因縁で説明しようとするのかもしれない。僕の生まれた町には小さなお寺がたくさんある。小さい頃はそのいくつかで法話を聞いたりもしたが、子供心に因果応報といふ考へは骨身にしみた。高校の頃に少しづつキリスト教について知るようになって、何と言っても新鮮であったのは、「過去のあなたは問ひません」といふ考へであった。誰もがゼロから出発できる、平等な出発条件が与へられるといふ点で、まことに希望に満ちた教へであると思った。ただ、この歳になってみると、カルマにはそれなりの合理性に支へられたものがあると思ふ。キリスト教が新鮮であるように思はれたのも、そもそも考への基盤にカルマがあったからこそではないか。矛盾するかもしれない違った考へを自分の納得のいく範囲で内部にバランスさせることは大事だと思ふ。

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久しぶりに晴れた