平家物語「頼豪 2」

2021-11-13 (土)(令和3年辛丑)<旧暦 10 月 9 日> (赤口 乙丑 五黄土星) Kristian Krister 第 45 週 第 26582 日

 

頼豪阿闍梨は、自分の望みが叶へられないと知ると、「残念だ」と言って三井寺に帰り、断食に入った。絶食を続けてそのまま死のうとしたのである。白河院はたいそうお驚きになって、江師匡房卿、その頃はまだ美作守と呼ばれてゐたが、をお召しになって、「汝は頼豪と師弟関係にあると聞いてをる。三井寺に行って何とか説得してはくれまいかの」と仰せになった。それで、早速美作守は綸言(りんげん、みことのりのこと)を携へて頼豪の宿坊に出向き、白河院のお言葉を言って聞かせようとしたのであるが、頼豪はとんでもなくくすぶってゐる持仏堂にたてごもり、おそろしい声を出してこんな風に言ふのだった。「昔から天子に戯言なしといふではないか。綸言汗の如しといふ言葉もあるぞ。汗はいったん出たら元に返らないように、皇帝が一旦発した言葉は取り消したり訂正することができないとされてゐるのだ。もしこればかりの所望が叶はないのであれば、もともと私が祈り出した皇子であるから、皇子を頂戴して、私は魔道に行くであろう。」と言って、遂に対面することさへもないままに美作守は帰らざるを得なかった。白河院にそのようであったことを申し上げた。頼豪はやがて飢え死にして死んだ。白河院は「どうしたものかのう」と大変お困りになった。皇子はやがてご病気になられた。ご病気平癒のためにさまざまのお祈りがなされたけれども、なかなか快復されなかった。白髪の老僧が、錫杖といふ、先に輪のついた杖を持って、皇子のお枕元にたたずみ、それが人々の夢にも現れ、幻となって現れるのであった。その様子は、恐ろしいなどと言葉で形容したのでは不十分なほど、それはそれは恐ろしいものであった。

f:id:sveski:20211114052824j:plain

こちらではよく見かける白樺は、日本では北海道や信州でよく見られる。