平家物語「頼豪 1」

2021-11-12 (金)(令和3年辛丑)<旧暦 10 月 8 日> (大安 甲子 六白金星) Konrad Kurt 第 45 週 第 26581 日

 

ところで時代は遡って白河院御在位の御時のことである。京極大殿(関白藤原師実)の御むすめがお后になられた。御むすめと言っても、もともと源顕房の女で、のちに師実の養女とされたのである。賢子の中宮として一身に寵愛を受けた。白河院はこのお后の御腹に皇子が誕生することをお望みになった。その頃、三井寺の頼豪阿闍梨といふ僧が祈祷の効験あらたかであると世に聞こえてゐたので、白河院はその僧をお呼びになって「汝、この后の腹に、皇子ご誕生祈り申せ。もし御願が成就すれば、褒美はのぞみ次第に取らせようぞ」と仰せになった。「おやすいご用です」と言って頼豪は三井寺に帰り、百日の間、肝胆をくだいて、誠心誠意お祈り申し上げた。すると中宮は百日のうちにご懐妊あって、承保元年(1074年)12月16日、御産平安、皇子ご誕生になった。白河院はたいそうお喜びになって、三井寺の頼豪阿闍梨を呼んで「汝は何を所望するかな」とお尋ねになった。頼豪は「我が三井寺戒壇院を建立させていただきたい」と申し出た。白河院は驚いて「これはまた何といふ論外なことを所望するのか。決まった順序を経ないでいきなり僧正に任じるようなことができようか。そもそも皇子ご誕生あって皇位を継がせようとするのも、海内無為を思ふためであるぞ。今汝の所望を叶へれば、比叡山の大衆が憤って、世の中は大騒ぎになるであろう。両門合戦して、天台の仏法が滅びてしまふぞよ」と言って決してお許しにならなかった。

f:id:sveski:20211113051627j:plain

冬時間に移行した時、カメラの時計の設定を忘れたので、昨日までの写真の時刻は1時間引かないといけない。