平家物語「康頼祝言(やすよりのっと)2」

2021-06-22 (火)(令和3年辛丑)<旧暦 5 月 13 日> (大安 辛丑 五黄土星) Paulina Paula    第 25 週 第 26428 日

 

鬼界ヶ島に流された3人のうち、丹波少将と康頼入道は信心深い人であった。「何とかして熊野の三所権現の神仏の霊をこの島のどこかにお移しして、都に帰られるようにお祈りしたい」と言った。三所権現とは、熊野坐神社・熊野速玉神社・那智神社をいふ。これに対して俊寛僧都は無類の不信の徒であった。「お前らやりたければ勝手にやれよ」といふ感じなのである。それで二人だけで心を合はせて場所探しをした。もしかして熊野に似たような雰囲気の場所はないものだろうかと、島の中を訪ね廻った。すると、ありました、ありました。美しい堤の林は錦繍のようなもみじに飾られ、雲を凌ぐふしぎな峰は緑の薄絹一色ではありません。南を望めば、海漫漫として雲の波煙の浪ふかく、北をかへりみれば、また山岳の峨々たるより百尺の瀧水みなぎり落ちたり、といふ感じです(白紙文集の表現が採られてゐると脚注にあった)。瀧の音は寒くなるほどで、松風は神さびて古風な趣がある。飛瀧権現のゐらっしゃる那智のお山によく似た感じではないか。そこで二人は早速その地に那智のお山といふ名をつけた。この峰が本宮だな、あちらを新宮としよう。これはどこそこのなに王子、かに王子(熊野の末社はそれぞれの地名を冠して何々の王子と呼ばれたのでそれを模した)と名付けた。康頼入道が先案内に立って、丹波少将はお供をして、毎日熊野詣でをするつもりで、都に帰してくださいと祈るのであった。「南無権現金剛童子、願はくは憐れみをたれさせおはしまして、古郷へかへし入れさせたまへ。妻子どもをば今一度みせたまへ」。かうして日数が重なっても、新たに縫ふ白い狩衣もないので、麻の衣を身にまとひ、近所の沢の水を水ごりのために汲んで岩田川の清流とみなした。岩田川は今の田辺市付近で海に注ぎ、下流を富田川といふ。高いところに登って、そこを発心門(本宮の総門)とした。お参りするたびに康頼入道は祝言をとなへる。しかし、御幣にする紙もないので、花を手折って捧げながらとなへるのであった。

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小鳥が窓の外につるしたエサをつつきに来る。