平家物語「卒塔婆流 3」

2021-07-16 (金)(令和3年辛丑)<旧暦 6 月 7 日> (赤口 乙丑 八白土星) Reinhold Reine    第 28 週 第 26452 日

 

康頼入道に親しい僧がゐた。僧は、もし適当なついでがあるものなら、何とかして鬼界ヶ島まで行って、康頼入道の行方を聞きたいと思った。さうして西国修行に出かけたが、その最初に厳島へ参った。狩衣装束の人が出てきた。どうも神社の人らしい。僧はよもやま話をした。「仏が光を和らげ、俗人に交はり、即ち神として日本に現れるご利益はさまざまであるけれども、どのような因縁があって、この厳島の神様は大海の魚たちとご縁があるのですか」と尋ねた。神社の人は「それはね、八大龍王の第三位に娑羯羅龍王がをられて、その第三の姫宮で、胎蔵界大日如来がここに迹を垂れてをられるからであるよ」と答へた。そして、ここにお祀りするようになってから今までの間に、不思議なことがたくさんあったことを説明した。さういふことであるのか、八棟の社殿が甍を並べ、社はわだづみ(海)のほとりであるので、潮の満ち干に月が映える。潮が満ちてくると、大鳥居の朱の玉垣は瑠璃のように輝く。また潮が引けば、夏の夜であるのに、社前の白砂は霜がおいたようである。いよいよ尊いことに思はれて、僧はお経を読んだ。そのうちに日が暮れて、月がさしのぼる。潮も満ちてきた。何となく海の方をふと見ると、藻くづの中に何かが揺れてゐるようだ。あれは何だろう。たぐって引き寄せて見ると、それは卒塔婆であった。「おきの小島に我あり」と書かれて流されてきたものであった。文字は彫り込んであったので、波にも洗はれず、はっきりと読み取ることができた。「これは驚いたことだ」と、僧はこれを取って、背中の笈にかけて都に上った。康頼の老母の尼公妻子らは、一条の北、紫野といふところにひっそりと住んでゐた。そこを訪ねて、それをお見せした。老母は「ああ、この卒塔婆が中国の方へも流れて行かないで、何だってここまで流れ着いて、今更ものを思はせるのでせう」と言って悲しんだ。このことが後白河院のお耳にも入って、法皇はその卒塔婆をご覧になった。「ああ、何と無残なこと。さうすると、この者共は今も生きてゐるといふことだな」と言って、御涙をお流しになった。小松の大臣(平重盛)にもお見せになった。重盛はそれを父の清盛にも見せた。柿本人麻呂は「ほのぼのと明石の浦の朝霧に島がくれ行く舟をしぞ思ふ」と詠んだ。山部赤人は「和歌の浦に潮満ち来れば潟をなみ葦辺をさしてたづ鳴きわたる」と詠んだ。住吉の明神の歌に「夜や寒き衣や薄き片そぎの行きあひの間より霜やおくらむ」もある。また、三輪明神には「我が庵は三輪の山もと恋しくは訪らひ来ませ杉立てる門」といふ歌もある。昔、素戔嗚尊が「八雲立つ」で始めた三十一字のやまとうたであるが、これまで諸々の神明仏陀も、かの詠吟をもって百千万端の思ひを述べて来られたことだ。清盛入道も岩や木のように非情ではない。やはりかはいさうなことであるとおっしゃった。

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夜10時には暗くなり始めた。