平家物語「康頼祝言(やすよりのっと)3」

2021-06-23 (水)(令和3年辛丑)<旧暦 5 月 14 日> (赤口 壬寅 六白金星) Adolf Alice    第 25 週 第 26429 日

 

その康頼入道の祝言は以下の通りである。出版社からの許可を得てないが、祝言の全文を写しても2ページなので転載しても大丈夫かなと思ふ。岩波古典文学大系から写した。

維あたれる歳次、治承元年丁酉、月のならび十月二月、日の数三百五十余カ日、吉日良辰を選んで、懸けまくも辱く、日本第一大領験、熊野三所権現、飛瀧大薩埵の教令、宇豆の廣前にして、信心の大施主、羽林藤原成経、ならびに沙弥性照、一心清浄の誠を致し、三業相応の志をぬきんでて、謹んでもって敬ひまふす。

それ證城大菩薩は済度苦海の教主、三身円満の覚王なり。あるいは東方浄瑠璃医王の主、衆病悉除の如来なり。あるいは南方補陀落能化の主、入重玄門の大士。若王子は娑婆世界の本主、施無畏者の大士、頂上の仏面を現じて、衆生の所願をみて給へり。これによって、上一人より下万民に至るまで、あるいは現世安穏のため、あるいは後生善処のために、朝には浄水を結んで煩悩の垢をすすぎ、夕には深山に向かって宝号を唱ふるに、感応おこたることなし。

峨々たる嶺の高きをば、神徳の高きに喩へ、嶮々たる谷の深きをば、弘誓の深きになぞらへて、雲を分けて登り、露をしのいで下る。ここに利益の地を頼ばずんば、いかんが歩みを嶮難の路に運ばん。権現の徳をあふがずんば、なんぞ必ずしも幽遠の境にましまさむ。よって證城大権現、飛瀧大薩埵、青蓮慈悲のまなじりを相ならべ、さを鹿のおん耳をふりたてて、我らが無二の丹誠を知見して、一々の懇志を納受し給へ。しかればすなはち、むすぶ・はや玉の両所権現、おのおの機に従って、有縁の衆生を導き、無縁の群類を救はんがために、七宝荘厳のすみかを捨てて、八万四千の光を和らげ、六道三有の塵に同じ給へり。

かるが故に定業亦能転、求長壽得長壽の礼拝、袖を連ね、幣帛礼奠を捧ぐることひまなし。忍辱の衣を重ね、覚道の花を捧げて、神殿の床を動じ、信心の水をすまして、利生の池を湛へたり。神明納受し給はば、所願なんぞ成就せざらむ。仰ぎ願はくは、十二所権現、利生の翅をならべて、遥かに苦海の空にかけり、左遷の愁へをやすめて、帰洛の本懐をとげしめ給へ。再拝。

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無断でよそのお家のお庭の写真を撮るのは良くないが、あまりに見事なバラであったので。