平家物語「足摺 3」

2021-08-28 (土)(令和3年辛丑)<旧暦 7 月 21 日> (先負 戊申 一白水星) Fatima Leila 第 34 週 第 26495 日

 

いよいよ船が出る時間になって、あたりが騒がしくなると、俊寛僧都は船に乗りたくてどうにもならない。まるで子供のように乗っては降り、降りては乗るなどの所作を繰り返すのだった。少将の形見には夜具、康頼入道の形見には一部の法華経が残された。ともづなを外して船を押し出すと、俊寛はその綱に取り付いて海に入った。腰まで水に入り、脇まで水に浸かり、背丈がたつまでは引かれて出た。背丈がたたないところまで来ると、船にしがみつくのだった。「さて、いかにおのおの、この俊寛をつゐに捨てるといふのだな。君らがここまで薄情とは知らなんだぞ。日頃の情けも今は問題にならん。ただ、理を曲げて俺を乗せてくれ。せめては九州の地まで。」と口説くのであった。都の御使ひは「いくら言ってもそれは叶はぬことよ」と言って、俊寛の手を引き退けて船を漕ぎ出した。俊寛僧都は仕方なく渚に上がって倒れ伏し、まるで幼児が乳人や母などを慕ふように、足を地にバタバタさせ、「俺を乗せて行けー、具して行けー」と喚き叫ぶのだった。しかし、漕ぎゆく船は次第に岸を離れ、白浪があとをひくばかりである。船はまだ遠くないところにゐるが、涙に暮れて見えないので、俊寛は高いところに走り上がって、沖の方を手招きした。昔、大伴佐提比古がもろこし船に乗って任那に行く時に、肥前国松浦に住む美女、松浦佐用姫が、襟の飾りの布を外して振ったといふ故事がある。その時のひれの振り方でさへ、おそらくこれ以上ではなかったろうと思はれるほど俊寛は強く手を振ったのだった。やがて船は沖にかくれ、日も暮れたけれども、わびしい、いつものねぐらへは帰らず、浪に足をうち洗はせて、夜露にしほれて、その夜はそこで明かした。少将は情け深い人なので、良い様にはからってくれることもあるかしれないと頼みをかけ、その場に身投げもしなかった心のほどは、はかないものであった。昔、南天竺の早離、速離といふ兄弟が、継母のために絶海の孤島、海岳山に捨てられたといふ故事もあるが、そのような悲しみも今なら俊寛には良く分かるのだった。

f:id:sveski:20210829032428j:plain

霧雨に咲く花