平家物語「足摺 1」


2021-08-26 (木)(令和3年辛丑)<旧暦 7 月 19 日> (先勝 丙午 三碧木星) Östen 第 34 週 第 26493 日

 

平清盛の自筆による赦し文を携へた御使ひは、治承2年(1178年)9月20日頃に鬼界ヶ島に着いた。御使ひは丹左衛門尉基康と言ふ者であった(丹波基康のことかと注にあり。丹波氏は医師として朝廷に仕へた。この御使ひのような労役を勤めるのは無位無官のものであり、雑色と呼ばれた(京急蒲田の隣にもありますね))。船よりあがって、「ここに、都より流された丹波少将殿、法勝寺執行御房、平判官入道殿は居られるか」と声声に訪ね廻った。丹波少将と康頼入道の二人はいつものように熊野詣でに出かけて留守であった。俊寛僧都がひとり残ってゐた。その声を聞いて、「あまりにも帰りたいと思ふものだから夢をみたのだろうか。それとも天の魔王が私の心をだまさうとしてゐるのだろうか。ああ、とても現実とは思はれない」といって、あはてふためき、走るともなく、倒れるともなく、急いで御使ひの前にかけ込んだ。「何事ぞ。我こそは京より流された俊寛であるぞ。」と名乗ると、その御使ひは、首にかけられた書類入れの袋から平清盛の赦し文を取り出した。開いてみると、「汝らの重い罪はこれまでの遠流によってゆるしてやる。早速帰京の用意をせよ。中宮御産の御祈りによって、恩赦が行はれるのである。さうであるから、鬼界ヶ島の流人、少将成経、康頼法師を赦免する。」とだけ書かれて、そこに俊寛といふ文字はなかった。もしかして書状の上包みの紙に書いてないかと思って取って見るが、そこにも書いてなかった。奥より端へ読み、端より奥へ何度も読み返すけれども、二人とばかり書かれて、三人とは書かれてなかった。

 

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秋雨や たのむの雁の 渡る朝