平家物語「山門滅亡 2」

2021-05-31 (月)(令和3年辛丑)<旧暦 4 月 20 日> (大安 己卯 一白水星)  Petronella Pernilla    第 22 週 第 26406 日

 

末法の行はれる俗の時代となっては、三國の仏法も次第に衰へるのだった。まづ天竺(インド)を見てみると、昔、仏の法が説かれたといふ竹林精舎・給孤獨園も、この頃は孤狼野干のすみかとなって、礎だけが残ってゐるようである。竹林園にあったとかいはれる白鷺池にも水はなく、草だけが深く茂ってゐる。退梵下乗といふ、釈迦が修行した霊鷲山にあったふたつの卒塔婆の塔も今は苔むして傾いてあると言ふ。次に震旦(中国)を見てみると、有名な天台山・五臺山・白馬寺・玉泉寺も、今は住む僧侶もないままに荒れ果てて、大乗・小乗の教へを説いた経文も箱の底で朽ちてゐると言ふ。我朝(日本)でも、奈良にある東大寺以下の七寺も荒れ果てて、八宗(倶舎・成実・律・法相・三論・天台・華厳・真言)九宗(八宗に禅が加はる)も跡絶え、京都の愛宕護山権現社、高尾神護寺も、昔は堂塔軒を並べたものだが、一夜のうちに荒れて、天狗の住処となってしまった。そんな次第であるから、あんなに高貴であった天台の仏法も、治承の今となっては亡んでしまふことになるのだろうか。心ある人で嘆き悲しまない人はない。山を離れて行った僧の坊の柱に歌が一首書かれてあった。

いのりこし我がたつ杣の引きかへて人なきみねとなりやはてな

伝教大師が仏の加護があるようにと祈った比叡山は今では無人の峰になるのだろうか)これは伝教大師比叡山を草創した昔、阿耨多羅三藐三菩提の仏たちに祈り申されたことを思ひだして詠んだものであろう。細やかな人情がしのばれる。八日は薬師の日であるけれども、南無と唱へる声もせず、卯月は山王権現が日本に跡を垂れた月であるけれども、幣帛を捧げる人もゐない。あけの玉墻は古びて、しめなはだけが残るありさまである。

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