平家物語「少将乞請1」

2020-12-26 (土)(令和2年庚子)<旧暦 11 月 12 日> (仏滅 癸卯 三碧木星) Annandag jul Stefan Staffan   第 52 週 第 26251 日

 

大納言・藤原成親の長男である丹波少将成經はその夜は宿直で、後白河法皇の御所法住寺殿に居た。朝になったが出発はまだであったので、大納言の侍どもは急いで御所に馳せ参った。少将殿を呼び出して事件のあらましを伝へると、少将は「そんな大事なことがあったのに何故宰相から私に連絡がなかったのか」と言ふ、その言葉が終はらないうちに宰相殿より使ひがあった。この宰相といふのは入道相国清盛の弟の平教盛のことである。普段、六波羅の惣門(外構の正面の門)のうちにお住ひであったので、門脇の宰相と呼ばれた。丹波少将はこの人の娘を妻としてゐたから、舅にあたる。その宰相は「何事が起きたのかわからないが、入道相国があなたをちゃんと西八条へお連れ申せと言ってきたのですよ」と言った。少将には事態がわかったので、法皇のお側の女房たちを呼び集めて「昨夜はなんとなく周囲がもの騒がしく感じられた。例の山法師がまた叡山から降りて来たのかと、よそ事に思ってゐたが、ほかならぬこの成經の身に及ぶことであった。父の大納言が今夜斬られるのであれば、成經も連座することになるであろう。今ひとたび法皇様に御目通りを願ひたいが、既にこの様な身になってしまっては憚られることだ。」と言った。女房たちは御前へ参ってこのことを申し上げると、法皇は大いに驚かれて「やはりさうであったか。今朝入道相国から使があったので気がついてはゐたのだが。ああ、内々に計画してゐたことが漏れてしまったのだなあ」といたましいご様子であった。「それにしてもここへ呼びなさい」とご意向をお示しになったので、成經は御前に進み出た。法皇は御涙をお流しになり何を仰せになることもなく、少将も涙にむせぶばかりで申し上げる事もない。その様な時が過ぎて、いつまでもさうしてゐるわけにもいかないので、少将は袖を顔に当てて、泣く泣く退出した。法皇はその後姿を遥かにお見送りになり「末代こそ辛いものだ。これ限りでまた会ふこともないであろう」と言って御涙をお流しになったのはもったいないことであった。院中の人々は少将の袖をつかみ、袂にすがって名残を惜しみ、涙を流さないものはなかった。

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冬でも日がさせば明るい。横にたなびく雲も美しい