平家物語「鹿谷3」

2020-07-21 (火)(令和2年庚子)<旧暦 6 月 1 日> (赤口 乙丑 八白土星新月 Johanna 第 30 週 第 26093 日

 

妙音院殿の太政の大炊殿(藤原師長)は内大臣の左大将であったが、お辞めになることになった。この方の父君は、崇徳上皇と手を組んで保元の乱を起こし戦死した、藤原頼長である。この時、師長も官位を剥奪されて流罪に処せられたが、その後罪を赦されて京に戻り、太政大臣までも昇進した。しかし平家の興隆の前に苦しい状況に追ひやられたのか、辞められることになった。後任には徳大寺の大納言質定卿がつくだろうと言はれてゐたが、この職を花山院の中納言兼雅卿が所望し、また故中御門の藤中納言家成の三男、新大納言成親卿(藤原成親)も切に所望された。成親卿は法皇の御気受けがよかったものだから、様々な祈祷を始めた。石清水八幡宮に百人の僧をこめて大般若経六百巻を七日間にわたって読み通す、その最中に奇怪な事件が起きた。甲良の大明神の前にある橘の木に、男山の方から山鳩が三羽飛んできて、互ひに食ひ合って死んだといふのである。「鳩は八幡大菩薩の第一の使者である。宮寺でこのような変事が起こることはない」と言って、時の検校、匡清法印は奏聞した。神祇官の占ひによると天下の騒ぎであるが、君のつつしみではなく、臣下のつつしみであると出た。それでも成親卿は恐れることもなく、昼は人目が多いので夜毎に歩いて、中御門烏丸の宿所より賀茂上の社へ七夜続けて参った。その七夜に満ずる夜、宿所に戻ると苦しくなって横になった。まどろみの中に夢のお告げがあり、「さくら花 かもの河風 うらむなよ ちるをばえこそ とどめざりけれ」と諭された。成親卿はそれでもなほ懲りずに、賀茂の上の社の後ろの杉の洞に壇を立て、ある修行僧を籠らせて拏吉尼の法を百日行はせた。すると雷が落ちて宮中が火事になりさうになった。いやはや、成親卿は左大将就任のためにあの手この手の祈りをしたのであるが、いづれも凶と出てしまったのである。現代でも大学受験合格祈願に神社にお参りする若者もあるが、日本に特有な現象ではないかと思ふ。この様な物語を語り継ぐ国ならではの現象かなと思ふ。

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晴れ間がないでもなかったが、曇りの1日であった。雨も降った。