平家物語「城南之離宮 2」

2022-06-27 (月)(令和4年壬寅)<旧暦 5 月 29 日>(先負 辛亥 六白金星) Selma Fingal  第 26 週 第 26808 日

 

大宮大相國(藤原伊道)、三條内大臣(藤原公教)、葉室大納言(藤原光頼)、中山中納言(藤原顕時)もお亡くなりになった。今となっては昔からの人と言へば藤原成頼、平親範くらいのものである。その人々も「この様な時代には、朝廷に仕へ、身を立て、大中納言に上りつめても何になるだらう」と言って、まだ壮年期にあった人々が、家を出、世を逃れていかれた。民部卿入道親範は霜深い大原で出家し、宰相入道成頼は霧深い高野山で出家された。一向後世菩提のいとなみの他には何もなされないご様子といふことである。その昔、秦の暴政を避けて四皓(ひげと眉の白い四人の人)は商山といふ山に隠れたといふ。また、許由は堯から天下を譲らうと言はれて、潁川の水で耳を洗ったといふ話がある。この様に、商山の雲に隠れ、潁川の月に心をすます人もあったことだから、成頼や親範の場合も、書物をひろく読み、心をきれいにして世を逃れたと言へるのではないだらうか。高野山におはした宰相入道成頼は、後白河院の幽閉されたご様子などを伝へ聞いて、「あはれ、世を逃れたのは正解であったことよ。この様に出家して聞くのも同じことかもしれないが、もし、目の当たりに立ち交はって今の世の有様を目撃したなら、どんなに心がつらからうと思ふ。保元平治の乱れをこそ浅ましいと思ったけれども、世も末になったのでこの様なことも起こるのだ。この後にもどんなことが起きるやらわかったものではない。雲を分けてでももっと高い山に登り、山を超えてでももっと奥深く入り込みたいものよ。」と言はれた。まことに心がある人ならば、とどまって住める世の中ではないことである。

毎日通る道だが、深い緑に包まれた道を歩くのは楽しい。