平家物語「鹿谷2」

2020-07-20 (月)(令和2年庚子)<旧暦 5 月 30 日> (仏滅 甲子 九紫火星) Margareta Greta 第 30 週 第 26092 日

 

後白河院には多くの子女がおありだったが、天皇になられたのは二条天皇高倉天皇である。後白河院は政治的に二条天皇と争はれたので、二条天皇崩御するとその皇子六条天皇が即位したのに、間もなく退位させて、建春門院との間に産まれた皇子を擁立された。建春門院は入道相国の妻の妹であることから、高倉天皇が即位されたことは平家にとって悪い話ではなかった。しかし一方で、後白河院は心のうちで次第に平家を憎まれる様になった。それにも関わらず建春門院を愛されたのは傾城の美女であられた故にであろうか。美女なら敵の娘でも、といふ色好みは仇になることがある。平家を憎むと言っても、清盛は保元・平治の乱を鎮め、朝廷を救った功績があるだけに、無碍には退けられない。「昔から代々の朝敵をたいらげたものは多かったが、いづれも清盛の様な過分な恩賞に預かったものはなかった。承平天慶の乱平貞盛藤原秀郷平将門を討った時も、前九年の役源頼義安倍貞任・宗任を滅ぼした時も、後三年の役源義家清原武衡・家衡を攻めた時も、その恩賞は、受領には過ぎなかった。」と後白河院は近習に漏らされた。しかし、これは見方が一方的であると思ふ。特に後三年の役の場合は、白河上皇は、あれは私闘であり朝廷の命令ではなかったと言って、いくさの褒美を全くお与へにならなかった。それで、源義家は私財を叩いて家来たちの労に報ひた。後年、源氏の武士たちが立ち上がった時、純な忠誠心からといふよりも、この時の話が人々を動かしたのではないかと思ふ。ともあれ、その様な状況の中で、院中に近い公卿殿上人たちはさらなる官位俸禄を求めて、限りない欲望を膨らませた。現代では、会社で出世することより、自分の生き方を大事にしたいと考へる人も増えたと聞くが、人の欲望は無意識の深いところでは、昔も今も同じ様に働くのではないかと思ふ。

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ひどい雨で散歩を休んだが、夜遅くなって晴れた。でも、もはや散歩に出る気はしなかった。