不平解消の方法

2021-05-09 (日)(令和3年辛丑)<旧暦 3 月 28 日> (赤口 丁巳 六白金星) Reidar Reidun   第 18 週 第 26384 日

 

昨日のブログで、平家の隆盛に不満であった摂関家の人々のうち、新大納言・藤原成親卿は謀反に参加し、徳大寺殿實定卿は厳島神社に詣でることをして、その後の運命が大きく分かれたことを書いた。この差の大きさは平清盛といふ人がどれくらい感激しやすい性格であったかによって変はることもありうると思ふ。徳大寺殿實定卿のやり方は、権力者におもねようとする点で、賄賂に近いと思ふ人もあるかしれない。だが、人を感動させることがなければ何も始まらない。金銭を授受するのならばむろん良くないが、それ以外の方法で人に何かを感じさせることは悪いことではないと思ふ。それもあまりに見え透いたやり方であれば人は感動しなくなる。自然に現れる人の情けは人を動かすと思ふ。また、藤原成親卿がやったように、今の時代が面白くないと言って、武力で覆そうとするのはどんな時代でもいけないと思ふ。正義のためだと主張し、むやみに正義を振りかざすことも良くないと思ふ。話は飛ぶが、僕らの生きる現代は貧富の差がどんどん拡大する傾向にあるといふ。よくないことと思ふが、この不平の解消にはどうすれば良いのかなと思ったりする。

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猫の額ほどでも庭があると慰まるものである