教育岩盤

2022-05-02 (月)(令和4年壬寅)<旧暦 4 月 2 日>(大安 乙卯 四緑木星)八十八夜 Filip Filippa 第 18 週 第 26752 日

 

日本経済新聞で「教育岩盤」といふ特集を見た。今回は「低学歴国 ニッポン 革新先導へ博士生かせ」と題されてあった。産業革新を牽引する海外企業では博士号を持つ人材が中心的であるのに対し、日本ではそのようになってなくて、今では日本は「低学歴国」になりつつあるといふ。この記事を読むと、日本はこのままではいけないと思ったけれども、読後に違和感も残った。ごく一部のとんがった人材の育成の不全を憂うるよりも、もっと大多数の平均的な人たちの学力を底上げすることの方がよほど大事なのではないかと思った。聞くところによると教科書を読めない人たちが増えてゐるといふ。さういふ一般民衆のレベルを引き上げることの方がよほど大事なのではないかと思った。確かなデータを持たずに発言するのは無責任だとは思ふが、どうも僕の感じでは、50年前に比べて民衆の国語の平均的レベルが落ちてゐるような気がする。この半世紀の間に大学に進学する人の数は増えたのに、結果的にはレベルが落ちてゐるような気がするのだ。日本がアメリカに戦争で負けた時、アメリカは「このような無謀な戦争をした日本は、一部のエリートたちが使ふ漢字やカナの混じった複雑な文章を一般国民が理解できなかったからではないか」と疑って、日本人に日本語のテストを実施したことがある。老若男女、貴賎、職業を問はず全国の広い範囲から任意に選ばれた人たちに試験を実施したところ、その結果は平均76点であったと聞いてゐる。かなりの難問が含まれてあったにも拘らず高い結果であったことに驚いて、アメリカは日本が無学文盲の国ではないことを知った。それからは占領国日本の言葉を英語に置き換へる方針をやめたといふことである。ところが、いまや、日本人の日本語がかなり怪しい気がする。自分もまたその一員であることにヒヤヒヤしながら書くのだが、最近では外国人の方が日本人よりも日本語を正しく使ふ場合があることに驚く。このようになったのは小中学校の国語の勉強のやり方が悪いからではないかと思ふ。さういふ大衆の平均レベルを底上げすることの方が、少数の博士育成よりもよほど国の力になると思ふ。

夜の散歩が遅くなっても外が明るいので助かる

 

合唱

2022-05-01 (日)(令和4年壬寅)<旧暦 4 月 1 日>(仏滅 甲寅 三碧木星新月 Första maj Valborg 第 17 週 第 26751 日

 

スウェーデン人は合唱が好きな民族ではないかと思ふ。何か行事があるごとに合唱があるような気がする。それも、必ずしもプロでない人たちが合唱を楽しむことが多いように思ふ。昨日の Valborgsmässoafton でも Nyköpingshus の前で男声合唱が披露された。見るとおじいさんばかりであるが、頭には揃って学生帽を被ってゐる。随分昔に、ストックホルムヘルシンキを結ぶフェリーに乗ったことがあるが、そこでも、歌の好きな人たちが自然に集まって、歌ってゐたのを聞いた。二人、三人が歌い始めると、歌声が輪のように広がって、白夜の海に流れていった光景を今でも覚えてゐる。

昨日の Valborgsmässoafton で男声合唱を聞いた

 

Valborgsmässoafton

2022-04-30 (土)(令和4年壬寅)<旧暦 3 月 30 日>(友引 癸丑 二黒土星) Valborgsmässoafton Konungens födelsedag Mariana 第 17 週 第 26750 日

 

コロナのせいで2年間中止になってゐた Valborgsmässoafton のイベントが今年は大っぴらに開かれることになった。夜になってからスウェーデンのあちこちでキャンプファイヤーのように火をくべてこの日を祝ふのである。炎といふものは人の心をどこか掻き立てる作用があるのかもしれない。「星かげさやかに(一日の終はり)」といふ歌(フランス民謡)やペギー葉山の「学生時代」にもキャンプファイヤーが出てくる。「キャンプ」は夏の季語なので、今の季節に行はれるキャンプファイヤーは日本人としてはやや違和感がないでもないが、北欧の人にとっては長い冬が終はって、日脚がぐんぐん伸びて、いよいよ春たけなはとなるこの季節の到来をこのような形で喜ばないわけにはいかないのだと思ふ。夕方になって、同居人と一緒に近くのキャンプファイヤーを見に行った。大勢の人が集まった。着火の前に男声コーラスの歌声が響く。これまでは Oppeby へ行くことが多かったが、今年は Nyköpingshus へ行って夕暮れに燃える火を眺めた。

火の周りに大勢の人が集まった。

 

プールに通ふ日々

2022-04-29 (金)(令和4年壬寅)<旧暦 3 月 29 日>(先勝 壬子 一白水星)昭和の日 Tyko 第 17 週 第 26749 日

 

まだ空気は冷たいが北欧でもようやく春らしい良い季節になってきた。その天気に誘われるように今週は月曜日から金曜日まで毎日プールに行くことができた。こんな週は珍しい。そのうち4日は自転車で行った。と言っても、町まで自転車で行って、そこに自転車を停めて、後は歩くのである。歩きの距離は片道1キロメートルと少しあって、長い坂道もある。緩やかな坂道だが歩けばやはり運動になる。水泳の後にサウナに入るのも楽しみである。僕が行く時間帯はプールは大抵すいてゐて、マイペースで楽に泳ぐことができる。腕をいっぱいにのばすことができて気持ちが良い。日本のプールでは他の人の邪魔にならないように円運動の半径を縮めて泳いだものだが、こちらでは思い切り手足を伸ばすことができるのがありがたい。今ではもう、若かった時ほどたくさん泳ぐことはできないが、少しでも泳ぐことができれば気分も良くなる。早く外のプールが開いてくれないかなと思ふ。外のプールは50メートルある。ウクライナでは戦争で命がけで苦しんでゐる人があるのにこんな贅沢をさせてもらって申し訳ないとも思ふ。

Stockholmsvägen の坂の上から Nyköping 市を望む。中央は S:t Nicolai 教会

 

進む円安

2022-04-28 (木)(令和4年壬寅)<旧暦 3 月 28 日>(赤口 辛亥 九紫火星) Ture Tyra 第 17 週 第 26748 日

 

円高、円安に良いも悪いもないのではないかと思ふのだが、今の円安は悪い円安であると新聞などに書いてある。5月の連休を前にして円安が進み、特に昨日は落ち方が大きかった。コロナ、ウクライナと続いたので外国へ出かける人の数は大きく減ったと思ふが、円安がそれに輪をかけるのではないかと思ふ。日本人にとって外国が一層遠のくのではないかと思ふ。外国に住む僕からすれば、日本が一層遠くなる気がする。ウクライナ情勢がさらに悪化すればもっと悪くなってしまふ。時代が逆行するような感じがする。為替レートが変はっていろいろなものの値段が変はっても、生産の価値そのものが変はるわけではないと思ふ。あまりそのような数字に惑はされずに生きていきたいと思ふ。

車庫の裏で見かけたチューリップ

 

喧嘩両成敗

2022-04-27 (水)(令和4年壬寅)<旧暦 3 月 27 日>(大安 庚戌 八白土星) Ledarhundensdag Engelbrekt 第 17 週 第 26747 日

 

日本には「喧嘩両成敗」といふ言葉がある。相手がどんなに悪いやつであっても、または売られた喧嘩であっても、ともかくも喧嘩をしたものは、両方ともが罰せられるといふ決まりである。喧嘩の仲裁をするものは、この精神を基本にすべきではあるまいか。それなのに、ロシアとウクライナの戦争を巡っては、本当の意味で仲裁をするものがゐない。仲裁するような顔をして火に油を注ぐ結果になってゐるのではないか。それが次第にエスカレートするのではないかと心配である。ウクライナの肩を持って彼の国に武器を供与しても平和は遠のくばかりである。日本には「負けるが勝ち」といふ言葉もある。これ以上の犠牲者を出さないためにも、一旦は負けたふりをすることも大事ではないかと思ふ。出典は中国だが、「和して同ぜず」といふ言葉もある。さらには「面従腹背」といふ高度なテクニックもある。このような技術を駆使して戦争の犠牲者を出さないように努力すべきと思ふ。日本はNATO諸国の出方を見てから自国の方針を決めるのではなく、平和憲法を前面に押し出してロシアとウクライナを説得すべきではないかと思ふ。普段から改憲しようではないかなどと言ってるから、このような大事な時に世界に向けて力強い、心のこもった発言ができないのだ。

我が住むアパートの庭に咲く桜

 

日本の桜のイメージ

2022-04-26 (火)(令和4年壬寅)<旧暦 3 月 26 日>(仏滅 己酉 七赤金星) Teresia Terese 第 17 週 第 26746 日

 

昨日のブログには「かげともさん」から早速コメントをいただいてしまってありがたうございます。どこかで読んでくださる方があるのは嬉しい事です。ところで、スウェーデンにも桜はありますが、10年前にはもっと少なかった気がします。わが町にもある通りの中央分離帯に桜が植えられて何年か経ちました。家のすぐそばにも桜の木があります。桜が咲くのはもちろん嬉しいのですが、どこか日本の桜とは違ふ感じがあります。何が違ふのかはよくわかりません。日本の桜に対するイメージは、日本が太平洋戦争を体験したことで少し変はったかなと思ひます。戦艦大和が徳之島の北西洋上で沈没したのは昭和20年4月7日のことでした。3月29日に呉軍港を出港した後にも艦上では厳しい電探射撃訓練があり、熾烈を極める綜合応急訓練があったと本に書かれてあります。吉田満の「戦艦大和ノ最期」からその部分を引きます。4月5日の記述です。「訓練休憩中、桜、桜ト叫ブ声 見レバ三番見張員ナリ 見張用ノ定置双眼鏡ヲ陸岸ニ向ケ、目ヲ当テシママ手ヲ上ゲタリ 早咲キノ花ナラン 先ヲ争ッテ双眼鏡ニ取付キ、コマヤカナル花弁ノ、ヒト片ヒト片ヲ眼底ニ灼キツケントス 霞ム「グラス」ノ視野一杯ニ絶エ間ナク揺レ、ワレヲ誘ウ如キ花影ノ輝キ 桜、内地ノ桜ヨ、サヨウナラ」桜の花を見るたびに僕はこの部分の描写を思ひ浮かべてしまひます。僕にとってはそれが日本の桜のイメージです。スウェーデンの桜からはそのような連想を感じないので、それが違ひかなと思ったりします。

Nyköping の桜も満開に近い